・ 目次
・ はじめに
・ 目次
1. 武士道よりは技師道
- 藤原正彦の「国家の品格」
- 新渡戸稲造の「武士道」
- 西堀栄三郎の「技士道十五ヶ条」
- 技師は「子育て」を双極の目的とする
2. 日本はいつ道を誤ったか
- 司馬遼太郎の「坂の上の雲」
- 真珠湾攻撃ではなく日清戦争の頃
- 武士がその本分を忘れたとき
3. 戦争を防ぐ方法
- カントの哲学的な草案「永遠平和のために」
- 第一次世界大戦
- ウィルソンの「14ヵ条の平和原則」
- アインシュタインとフロイト「なぜ戦争をするのか」
- 第二次大戦後、世界大戦は起きていない
- すべての戦争を防ぐ方法
4. 日本の将来
- 技師の心得
- 道徳教育の復活
- 選挙権を与えられた一国民として
- 科学振興ではなく技術開発を
・ おわりに
・ 引用文献
1. 武士道よりは技師道
数学者、藤原正彦はその著書「国家の品格」のなかで「現在の日本の教育には武士道精神が欠けている。これを復活しなければならない」という趣旨のことを述べています。別の著書「若き数学者のアメリカ」のなかで、かれはアメリカ社会において生活するうえでも日本男児を貫かんとして、おそらくは武士道精神を心に抱いて、抱腹絶倒の活躍をしますが、だからといって現代日本において武士道教育を復活するというのは、いささか時代錯誤ではないでしょうか。「国家の品格」の要旨は以下のとおりです。
- 戦後日本の教育は、アメリカの戦略政策によって、戦争賛美につながる内容がすべて削除され、自由、平等、民主主義および資本主義が強調されるようになった。
- それとともに、武士道精神は忘れ去られ、とりわけ情緒と形に関する教育が失われた。
- 国民は永遠に成熟しないのでエリートを育てなければならない。
- それにより、日本は伝統を重んじる模範を世界に示さなければならない。
上記の第3項について、かれは「東条英機もヒットラーもそれぞれの国民が選んだ。国民は永遠に成熟しない。民主主義すなわち主権在民が戦争を起こす。したがって、エリートを育てることによって、日本は伝統を重んじる模範を世界に示さなければならない」と述べているところに異論があります。
東条英機、その中枢組織、および天皇を含む当時の日本政府は、武士道精神を含むエリート教育を受けていたはずです。東条英機を選んだ国民もアメリカの影響下による戦後教育を受けたのではありません。そして、その選ばれたエリートたちが真珠湾攻撃を軍部に命令し、太平洋戦争を始めたのです。
「民主主義すなわち主権在民が戦争を起こす」という記述はあまりにも荒唐無稽なので深入りしませんが、民主主義の利点として「傍目八目」ということがあります。他人が指している囲碁を傍らから眺めていると、自分が対局しているときより冷静によく先の手が読めます。実際、政治家に限らず、歌手、演奏者、画家、小説家に自分がなることは難しくても、その政治手腕、歌唱力、絵画のすばらしさ、小説の面白さを楽しみ、評価することは誰にでもできます。マスメディアを含む国民が第三者として、国会論争や政策の成り行きを評価することはできます。間接民主主義の利点はここにあります。国民は自分で政治手腕を持つ必要はないが、政治家を適切に評価し、取捨選択する義務があります。
戦争を起こす原因が、アメリカの影響を受けた戦後教育によるのではないことは明らかですが、では日本はなぜ戦争を起こしたのか、いつから好戦的になったのか、これについては第3章で検討します。
そもそも現代は、武士の世の中ではなく、科学技術の時代、つまりテクノクラートまたは技師の時代です。武士道は、現代の武士たる軍人すなわち自衛隊員の教育に取り入れていただくとして、一般市民は武士道よりは技師道を学ぶべきではないでしょうか。
なお、「国家の品格」の中では、新渡戸稲造の「武士道」に関する詳しい説明はなされていませんが、会津藩の教えとして「什の掟(じゅうのおきて)」が紹介されています。これは、江戸時代、会津藩の藩校、日新館で教えられていたとのことです。
一つ、年長者の言うことに背いてはなりませぬ
二つ、年長者にはお辞儀をしなければなりませぬ
三つ、虚言を言うことはなりませぬ
四つ、卑怯な振る舞いをしてはなりませぬ
五つ、弱い者いじめをしてはなりませぬ
六つ、戸外で物を食べてはなりませぬ
七つ、戸外で婦人と言葉を交えてはなりませぬ
そして、これら七ヵ条の後は、こんな文句で結ばれます。
ならぬことはならぬものです
藤原正彦は、以下のように述べています。
要するにこれは「問答無用」「いけないことはいけない」と言っている。これが最も重要です。すべてを論理で説明しようとすることは出来ない。だからこそ、「ならぬことはならぬものです」と、価値観を押し付けたのです。
藤原正彦は七つ目を除いて非常に納得できると冗談めかしていますが、私には六つ目も余り納得できません。しかし、一つ目と二つ目は「子育て」の観点から納得できます。三つめは殺人の禁止、盗みの禁止等と同じ、社会の維持のための必須事項です。三つ目、四つ目、および五つ目は、治安維持を務めとする武士にとっての必須事項です。
以下の項では、武士道とはどのようなものか、続いて技師道とはなにかを検討します。
新渡戸稲造はベルギーの法学者ド・ラブレーから「日本の学校では宗教教育がないとのことだが、どのようにして道徳教育が授けられているのか」と質問され、答えることができませんでした。また、当時の日本人の妻としては珍しかったアメリカ人の妻からは「なぜ、武士道のような思想や道徳教育が日本でいきわたっているのか」と質問されていました。それらに応えるために、「武士道」を著しました。
同書において、武士道とは武士の心に刻み込まれた掟であり、義務であること。武士道の源は、日本人の民族的本能が認めていた道徳律であること。それに日本古来の神道の教義が加わり、仏教の禅の教え、道徳的な教義に関しては孔子の教えが最も豊かな源泉となり、さらに孟子の教えは武士道に大いなる権威をもたらし、武士の心の中に不変の位置を占めていった。しかし、武士道は知識を重んじるものではなく、行動を重んじるものであり、このことは王陽明の言葉「知行合一」を目指すことになるとのことが記されています。武士道の徳目は以下のとおりです。
義 - 武士道の礎石、義は人の道なり
勇 - 勇気と忍耐、義を見てせざるは勇なきなり
仁 - 慈悲の心(←藤原正彦が強調する「惻隠の情」*)
礼 - 仁・義を形として表す(←藤原正彦が強調する「形」*)
誠 - 武士に二言がない理由
名誉 - 命以上に大切な価値、恥の感覚、寛容と忍耐
忠義 - 武士の生きる目的
*(このホームページの著者(以下私という)が付記した注記)
さらに同書では、品格を重視した武士の教育、克己、切腹と敵討ち、武士の魂である刀について記述され、武士の女性に求められた理想について以下のように記されています。
- 家庭的かつ勇敢であること
- 純潔を守ることの大切さ
- 芸事や、しとやかな振る舞いの意味
- みずからを献身する生涯
- 内助の功
- 五輪の道 = 父子の親、君信の義、夫婦の別、長幼の序、朋友の信
武士道には、軍事組織の一員としての武士の義務、精神、道徳等が記述され、更にはその妻の理想についても記されていますが、藤原正彦が期待しているような軍事組織を統率するエリートの義務や道徳には一切触れられていません。また、武士自身の子育てという観点からは、夫たる武士およびその妻であり母親の義務や道徳については記述されていますが、子供の心構えについては触れられていません。ただし、上記「武士の女性に求められた理想」の中の「五輪の道」は、妻たる女性のみならず、父親、および子供、および友人の関係の教えも含まれています。また、会津藩の教えである「什の掟」にもそれらが含まれています。
子育ては、夫婦である父親と母親および子育てを受ける子供の三者から構成されます。三者のそれぞれの心構え、道徳、理想は異なるはずです。しかし、私は子育てを受けた子供の経験があり、夫であり、父親ではありましたが、母親でも妻でもなかったので、その心構え、道徳、理想等の詳細に立ち入ることは出来ません。新渡戸は「武士道」の第十四章「武家の女性に求められた理想」の冒頭で以下のように論じています。
人類の半分を占める女性は、ときには矛盾の典型ともよばれるが、それは女性の心の直観的な働きが、男性の「数理的な理解力」の範疇をはるかに超えてるからである。女性の身体的魅力や繊細な思考が、男性の粗雑な心理では説明できないからである。
西堀栄三郎の「技士道十五ヶ条」(朝日文庫)には、まえがきの後いきなり、以下のように記述されています。
古来、わが国には、武士に武士道があった。西洋には、騎士に騎士道があった。そこで私は、技術者がよるべき道徳律、技術者としてのあるべき姿、良心に恥じないための行動体系として、以下「技士道」を提唱したい。「道」とは人間の振る舞いの規範、綱領を指すものである。
技術に携わる者は、
一 「大自然」の法則に背いては何もできないことを認識する。
二 感謝して自然の恵みを受ける。
三 人倫に背く目的には毅然とした態度で臨み、いかなることがあっても
屈してはならない。
四 「良心」の養育に努める。
五 常に顧客指向であらねばならない。
六 常に注意深く、微かな異変、差異をも見逃さない。
七 創造性、とくに独創性を尊び、科学・技術の全分野に注目する。
八 論理的、唯物論的になりやすい傾向を戒め、精神的向上に励む。
九 「仁」の精神で、他の技術に携わる者を尊重して、相互援助する。
十 強い「仕事愛」をもって、骨身を惜しまず、取り越し苦労をせず、
困難を克服することを喜びとする。
十一 責任転嫁を許さない。
十二 企業の発展において技術がいかに大切であるかを認識し、
経済への影響を考える。
十三 失敗を恐れず、常に楽観的見地で未来を考える。
十四 技術の結果が未来社会や子々孫々にいかに影響を及ぼすか、
公害、安全、資源などから洞察、予見する。
十五 勇気をもち、常に新しい技術の開発に精進する。
上記の技士道十五ヶ条に関する個別の説明はなく、本文では、かれの少年時代の京都周辺の山登りに始まり、高校時代の北アルプス登山、南アルプスで雪渓に足を滑らせながらも九死に一生を得た経験、第一次南極探検越冬隊長として1957年から翌年にかけてオングル島の昭和基地で過ごした経験、東京電機(現在の東芝)での真空管製造の品質管理の現場体験、日本原子力研究所理事、日本原子力船開発事業団理事、日本生産性本部理事を歴任したこと、1973年ヤルン・カン遠征隊隊長および1980年チョモランマ登山隊総隊長を務めたことなどの豊富な体験談は、読み物としても非常に面白く、その中には様々な教訓が散りばめられています。
本文中に散在する教訓と、前記の技士道十五ヶ条の条項の中で私自身が疑問を感じた2つの条項について比較対比してみます。まず、「第三条 人倫に背く目的には毅然とした態度で臨み、いかなることがあっても屈してはならない」の中の「人倫に背く目的」とは具体的に何を意味するのか、「屈してはならない」というのは何に対して屈してはならないという意味なのか、本文中「人倫」または「倫理」という用語は2ヵ所しか使用されておらず、そのうちの1ヵ所は以下のとおりです。
原子力が私たち人類の前に登場したのは1942年12月、イタリア人であるエンリコ・フェルミがシカゴで初めて核分裂制御に成功したことに始まる。極小の原子の中に秘められた巨大なエネルギーに着目し、それを取り出すことに成功したフェルミの研究は、実に素晴らしいものである。しかし不幸なことに、この発見は何十万人もの人々を殺戮する武器として、人類の前に姿を現したのだった。もし、核分裂反応を「知識」のみに止めておいたならば、問題はなかったに相違ない。しかし、私たちは、原子力エネルギーを何のために、どのように利用すべきかの倫理観を確立する前に、あまりにも性急に、この知識を使用したのである。つまり、原子爆弾の製造である。
いまフェルミは、その発見が原子爆弾の製造につながったということで、罪人扱いされている感がしないでもない。しかし、原子力エネルギーの発見は、人間の探求心が行わしめた知的行為であり、それ自身には何の罪もないのだ。もしフェルミがやらなかったとしても、早晩誰かが成し遂げていたに違いない。だから、「これさえ発見されなければよかったものを」などと非難するのは間違っている。もし人間の探求心を抑えるようなことがあれば、人類の進歩はおぼつかなくなってしまうからだ。
上記を読む限り、「人倫に背く目的」というのは原爆製造のことで、フェルミが「屈した」のは、原爆製造を強要されたことに屈したことかもしれませんが、「いまフェルミは、その発見が原子爆弾の製造につながったということで、罪人扱いされている感がしないでもない」という記述はあくまでもフェルミを擁護しているようで判然としません。
フェルミは実際に1942年、シカゴ大学で世界最初の原子炉「シカゴ・パイル1号」を完成させ、核分裂連鎖反応の制御に史上初めて成功して、その原子炉は原爆材料プルトニウムの生産に用いられました。かれはアメリカの原爆開発プロジェクトであるマンハッタン計画で中心的な役割を担い、1944年にはロスアラモス研究所のアドバイザーとなり、1945年7月には人類史上初の原爆実験に成功しました。その後の水素爆弾の開発において、初めて倫理的な観点から反対しています。
フェルミは原爆製造の要請を実際に引き受けたのであり、人倫に反する目的に屈したのです。フェルミは水素爆弾の開発に反対しましたが、原爆は実戦で使用され、その後水爆や大陸間弾道弾(ICBM)も開発されています。フェルミによらずとも世界には人倫に反する技術者が大勢存在しています。そのことをどう考えればよいのでしょうか?
また、「技術者が屈する」のは「目的」のように解釈されますが、「目的に反する」という表現は珍しくありませんが「目的に屈する」という表現は不自然なので、技術者が属する組織の上層部の命令や強要に屈するようにも解釈できます。それに関して、以下の記述も見られます。
技術の抱える問題の真の解決策は、ひとり技術者のみではなく、為政者、企業のトップ、ないしは軍の上層部など、決定権をもったすべての人が「人類の福祉にならないものはやるべきではない」という自覚をもつことから始まる。そして、このような自覚を生む「良心」を各々がもつように、普段からその魂を磨くように努めなければならない。そうでなければ、本当の技術を行う者とはいえないのではないだろうか。
為政者、企業のトップ、ないしは軍の上層部など、決定権をもったすべての人が技術の用途を決定するのかと思ったら、またまた技術者自身の判断にゆだねられるような表現となっていて釈然としません。
また、完成後の製品は技術者の手を離れ、ユーザーに引き渡され、ユーザーの使用目的に従ってユーザーが使用します。たとえば、武器や兵器のように開発段階から殺人を目的とする製品もありますが、自動車、料理用包丁、スポーツ用バット等、本来の使用目的が明確な(人倫に反しない)製品でさえも、ユーザーの意志によっては殺人に使用可能な製品も多く存在します。
第三条は、以下のように分けて考えたいと思います:
- 原爆、水爆、ICBMを含むあらゆる武器、兵器の製造を要請された場合、その製品、システム、施設等が専守防衛(preserver, self-defence only)にのみ使用され、侵略には使用されないことが明確である場合は人倫に反することがないので、技術者はそのことを確認した場合にのみ、その開発、製造に携わる。
- 製品の開発および製造段階において、製品が専守防衛のみならず、他国侵略、過剰防衛、暗殺等に使用されるように社会的環境変化が発生した場合は、上司に報告し対策を講じる。
- 製品の有する機能に、他人を殺傷し得る機能が含まれることに気付いた場合は、上司に報告し対策を講じる。
- 製品には、製品の用途、使用目的を明記した説明書を添付してユーザーに製品とともに引き渡す。
- 上記のどの項目による対策を講じても解決できない場合は、その担当を辞退する。
上記を踏まえて第三条は「技術派には倫理が求められる」というように解釈したいと思います。
2つめの例として「第五条 常に顧客指向であらねばならない」を検討したいと思います。
「顧客指向」という用語は、この条文以外に、本文中はどこにも使用されておらず、代わりに「人に喜ばれるものづくり」という言葉で記述されていて、その要旨は以下のとおりです。
産業革命以来、すべてのことがメーカー本位、作る側本位で進んできた。たとえば大量生産品を使う側に押し付けてきた。「儲け主義」あるいは「ご都合主義」といってよい。大量生産文明は「使い捨て文明」を築いてしまったが、それは自然に対する冒涜である。
お客さんの感性に訴える製品を作れば、最後まで喜んで使ってもらえることにより、製品の寿命も長くなり「自然の恵みを感謝して受ける」ことにつながる。
上記に対して下記の異論を唱えたいと思います。
- メーカーが大量生産品を押し付けたから顧客が買ったのではなく、大量生産品の方が手作り製品よりも品質が良く、安価だから買ったのである。
- 大量生産品が使い捨てされるとは限らず、長寿命の耐久消費財の多くは大量生産されている。
- 使い捨て製品は、洗浄、整備、手入れ等の保守および維持の手間が省けることが利点として成立している。
- 顧客は、上記すべてを総合判断して製品を選択し、購入するのであって、メーカーの「儲け」や「都合」に従うものではない。
顧客が製品を選択する基準は、価格、品質、外観デザイン、使いやすさ、期待寿命、認知度等によりますが、究極的には「子育て」にいかに役立つかということに尽きると思います。
第三条および第五条について、上記のような解釈を含めれば他の条項は納得できるものです。私の経験からは技術開発は「試行錯誤」から生まれると感じています。西堀栄三郎は科学的発見が技術の源であると考えているように見受けられます。科学的に証明されたこと、数式で計算可能なことを無視すると回り道をたどることになりますが、目的達成のためには、アイデアと試行錯誤が中心となります。第七条、第十三条、第十五条にそれが内包されていると考えられなくもありませんが、「試行錯誤」という表現で記述して欲しかったと思います。本文中、「試行錯誤」という言葉は一度も使用されていません。「トライ・アンド・エラー」という言葉は1ヵ所でのみ使用されていて納得できる記述であり、以下に引用します。
そもそも技術というものは、トライ・アンド・エラーでやるべきもので、やってみて駄目だったらそこを直してゆくというように、「禍い転じて福となす」という楽観的な態度と、失敗をものともしない強い気構えと、さらには燃えるような探求心がないことにはできるものではない。先ほどのコメット(イギリス製、世界初のジェット旅客機)にしても、エベレストにしても、何度も何度も失敗を繰り返した結果勝ち取った成功である。
西堀栄三郎から離れますが、『本田宗一郎「4つのルール」』(株式会社アントレックス)に記載されている4つのルールは以下のとおりです。
- 「技術は人間に奉仕する手段である」
社会の発展、進歩の主役は人間である。人間によって作り出された技術、およびその産物は人間の生活を豊かにするための手段にしかすぎない。世の中には往々にして、この手段を本質と間違え、科学技術の進歩が目的であるかのごとく、錯覚している人がいるのは、まことに残念なことでもある。
- 「パイオニア精神」
過去の積み重ねられた多くのものをもとにして、その上に自ら作り出した新しい世界を開いてゆくことに進歩があり、これがパイオニア精神である。多くの人々はみな、成功を望み、失敗、反省、勇気という三つの道具をくり返し使うことによってのみ、最後の成功という結果に達することができる。
- 「問題を根本から解決する」
一例として、CVCC(複合過流調整燃焼)は、エンジンから排出された排ガスを後処理するのではなく、エンジン内部で後処理不要な排ガスを生成する。
- 「人の和」
科学技術や社会機構がどんなに進歩し、発展しても、それらを動かしていくのは人間である。しかし、それは一人の人間ではできないことであり、多くの人の心と心の連帯感があってこそ、人間は機械や社会機構を有効に使いこなせる。
本田宗一郎のいう「パイオニア精神」およびそれを導く「試行錯誤(トライ・アンド・エラー)」の重要性が再認識されます。
『本田宗一郎「4つのルール」』には以下の記述もあります。
山岡荘八の「徳川家康」がブームになり、経営学の教科書でももてはやされるようになった頃、本田宗一郎は「徳川家康は真の英雄ではない」といったことをご存知の方も多いと思います。「家康も天下を取ったから英雄かもしれないが、真の英雄ではない。いつの場合も多くの人を犠牲にしている。江戸城にしても、四国丸亀あたりから大勢の人夫をつれてきて築城に強制労働させ、秘密な箇所の仕事に携わった者は殺してしまった。証拠の人骨も出てきている。こうした人の犠牲の上に立つ者を私は絶対に英雄と思わないし、そんな人物を現代企業の経営の中に持ち込むのはナンセンスだ」と著者本人に向かっても披歴したのです。
本田宗一郎は技師であって、武士ではなく、為政者(藤原正彦のいうエリート達)でもなく、戦後民主主義国家となり、憲法で戦争放棄が謳われた日本の技師として、この発言は理解できます。前述の西堀栄三郎がフェルミの原子炉建設のみならず原爆製造をも擁護するかのような記述も、同じく当人が技師であって、為政者ではないことからきた記述と考えられます。
徳川家康は、技師ではなく武士として、特に数々の戦において多くの殺人を犯してきていますが、前述のように、為政者として「徳川三百年」の平和な時代の基礎を築いており、「現代企業の経営の中に持ち込むのはナンセンスだ」としても、国家の救世主として、ナポレオンと同様に英雄であり、優れた為政者であり真のエリートであると思います。
ここで「築城の秘密な箇所の仕事に携わった者」は、倫理を考えるべき技師に含まれると思います。武器、兵器、軍事施設の製造に携わる技師は、ユーザーの命に係わる便宜を提供することを目的とするのであり、自身の命を引き換えにする覚悟が必要だと思われます。そこまで極端でなくても、土木建築工事、鉱山採掘、危険物取扱等、「安全第一」が標語とされるような作業には、裏腹に生命の危険が常に付きまといます。船舶が沈没の危険に晒されたとき、船長はすべての船員が退去したことを確認した後、最後に船を去ると言われます。私が勤務した石油会社のすべての油槽所の所長は、1980年代まで家族とともにそれぞれの油槽所構内にある自宅に住んでいました。福島原発事故の際、吉田 昌郎(よしだ まさお)は、原子炉破壊の危機の中、原発構内にとどまり、事故収束作業の指揮を取り続けました。このような技術者の例は枚挙にいとまがありません。
前項『西堀栄三郎の「技士道十五ヶ条」』で見てきたように、技師はユーザー=顧客の「子育て」に役立つ製品を開発し製造することを基本的な目的としています。
また、技師が技師の務めを果たす目的は、その報酬を得て自身の「子育て」に貢献することにあります。
つまり、技師は、武士と同様「子育て」を双極の目的としています。
2. 日本はいつ道を誤ったか
小説家、司馬遼太郎は太平洋戦争末期、昭和20年(1945年)の夏、本土防衛の為、関東軍所属の戦車第一連隊に配属されました。ある日、大本営本部から参謀が来た際に、かれの上司が「敵が上陸するとこの辺りの道路は東京からの避難民で埋め尽くされるがどう対処すればよいか」と尋ねたところ、「轢き殺してゆけ」という恐るべき非情な言葉を返され、深い絶望感を味わされたそうです。
更に「終戦の玉音放送を聴き、何故こんな愚かな指導者ばかりいる国に生まれたのかと思い、昔は違っていたのではないかと思い直した。しかし、昔とは明治なのかそれ以前なのかよくわからない。ほどなく復員して暮らす40歳前後から佐野にいた頃の22歳の自分自身に向かって手紙を書き始めた。それが私の小説のようなものです。読者はいつも私の中にいた22歳の私です」と述べています。これが司馬文学の原点になったのではないかと思います。司馬遼太郎にとって佐野は旅立ちの舞台であり、国の行く末を考え、死の考えから生き返った「時」であったと推察します。
藤原正彦の「国家の品格」では、「日本は盧溝橋事件以降の中国侵略という卑怯な行為に走るようにしまったのです。(中略)日露戦争までは(日本の)独立と生存のために致し方なかったと思っております。(中略)当時の中国に侵略していくというのは、まったく無意味な「弱い者いじめ」でした。武士道精神に照らし合わせれば、これはもっとも恥ずかしい、卑怯なことです。江戸時代は遠くなり、明治も終わり、武士道精神は衰えていました」と記載されていて、司馬遼太郎の意見とほぼ同じです。
司馬遼太郎が「日本はいつ道を誤ったか」という疑問を持ちながらも、明治時代の日本人は太平洋戦争のときの日本人とは違っていたと考えながら、その回答を見つけるために幕末から明治維新を経て、日清、日露戦争までを描く小説として「竜馬がゆく」「世に棲む日日」「燃えよ剣」「翔ぶがごとく」「坂の上の雲」等を書いたとすれば、「坂の上の雲」において最高の日本人像が描かれています。
ここで彼は、日露戦争を祖国防衛戦争として捉え、日露戦争以降の日本の軍隊が迷走し、日本の近代はゆがんできたと言います。
しかし、日本の明治新政府は1868年末、朝鮮に王政復古を伝える書契を渡そうとしますが朝鮮は、従来の形式と異なり、文中に宗主国清の皇帝だけが使えるはずの「皇」と「勅」の文字があったため、書契の受け取りを拒否します。数年間、日朝の国交交渉が進展せず、この余波がさまざまな形で現れました。
中国との間では1871年、対日融和外交を主張した李鴻章の尽力により、日清修好条規および通商章程が締結されます。この外交成果を利用して日本は、清と宗藩関係にある朝鮮に対し、再び国交交渉に臨みます。しかし、それでも国交交渉に進展が見られなかった1873年、国内では、対外戦争を招きかねない西郷隆盛の朝鮮遣使が大きな政治問題になりますが、結局のところ明治天皇の裁可で朝鮮遣使が無期延期とされたため、遣使賛成派の西郷と板垣退助と江藤新平など5人の参議および約600人の官僚・軍人が辞職する事態となりました。
日本は1875年、いわゆる江華島事件において、航路測量を名目に軍艦雲揚号を朝鮮に派遣し、江華島で朝鮮側を挑発して戦闘し、更に上陸して朝鮮側軍民35名を殺害し戦利品を持ち帰ります。1876年、不平等条約ともいわれる日朝修好条規を朝鮮に押し付けます。1882年、済物浦条約が調印され、公使館護衛のため日本軍が首都漢城に駐留する権利を朝鮮が認めます。1885年、中国との間に天津条約が調印され、日清双方が朝鮮から撤兵します。
1894年から1895年にかけて行われた日清戦争は、主に朝鮮半島(李氏朝鮮)をめぐる日本と大清国の戦争です。朝鮮で起こった甲午(こうご)農民戦争鎮圧のため清国が出兵したとき、対抗して日本も出兵、豊島(ほうとう)沖で開戦。日本は平壌の戦いや黄海の海戦などで勝利を収めて戦勝国となり、日清講和条約が結ばれました。この条約により台湾を譲り受け、台湾総督府や台湾製糖を設置し、さらに大日本製糖も台湾に進出しました。
その後日清、日露戦争を経て1910年、日本は韓国を併合します。そして朝鮮では35年に及ぶ日本による植民地支配が続きます。日本という国家は、数千年の文化を持った独立国を平然と合併という形で奪ってしまった、というのが司馬遼太郎の思いでもあります。
日本が祖国防衛ではなく、侵略、侵攻のための戦争を始めた時点とは、朝鮮との間の江華島事件と見るか、済物浦条約調印に基づく日本軍の首都漢城での駐留開始とするか、日清戦争後の台湾進出とするか藤原正彦と司馬遼太郎の見解が一致する日露戦争のときと見るか、1875年〜1895年のあたりということになりそうです。真珠湾を攻撃した1941年から遡ること、46〜66年前ということになります。
ただし、「日本はいつ道を誤ったか」という疑問については、日本のみならず、この時期のイギリス、フランス、ロシア、アメリカ、中国、朝鮮、ベトナムまでも同時に道を誤っていると考えられます。ことにイギリス、フランス、ロシアの進出が最悪ですが、それを真似た日本がお粗末です。イギリス、フランス、ロシア等の列強国は、アジアからの脅威を受けたわけではなく、戦力が明らかに劣るアジアに侵出、侵略してきたことは間違いない事実であり、明らかな弱い者いじめです。日本は、1万数千人の戦死者を出しながら中国、旅順の203高地を占領していたロシア軍から奪還したことと、黒海からウラジオストックを目指して遠路航海してきて疲弊しきっていたロシアのバルチック艦隊を待ち受けて撃沈したことはありますが、それ以外にヨーロッパの列強国の軍隊を攻撃して祖国防衛をしたこともなく、軍力の劣る中国と朝鮮を攻めるという弱いものいじめをしたのです。
どのように各国が「道を誤ったか」というと、「女、子供、農民、領地を守る」という武士、軍人の本分すなわち、祖国防衛を忘れ、侵略、侵攻のための戦争を始めたということに尽きます。
3. 戦争を防ぐ方法
18世紀の哲学者イマヌエル・カント(1724 - 1804)はかれの最晩年、戦争が絶えないヨーロッパ情勢を憂い、「世界の恒久平和はいかにしてもたらされるべきか」を世に問うために「永遠平和のために」を著しました。本書は難解であるとのことですが、NHKテレビ「100分de名著」では2016年8月、その「永遠平和のために」が放送されました。その放送を視聴したところ、哲学研究者、萱野稔人による解説も加えられ、非常に分かりやすかったので、ここに私の追加理解も加えながら文書化してみます。
「永遠平和のために」が書かれた18世紀のヨーロッパでは、国家間の紛争が頻発。民衆たちが戦争を忌避し平和を希求する一方で、国家間のエゴが対立しあい、一部権力者たちによる軍備拡張や戦費の増大がとめどなく進んでいました。そんな中、「国家」の在り方や「政治と道徳」の在り方に新たな光をあて、人々がさらされている戦争の脅威に立ち向かったのがカントの「永遠平和のために」です。そこには、「常備軍の廃止」「諸国家の民主化」「平和のための連合創設」など、恒久平和を実現するためのシステム構築やアイデアが数多く盛り込まれており、単なる理想論を超えたカントの深い洞察がうかがわれます。それは、時代を超えた卓見であり、後に「国際連盟」や「国際連合」の理念を策定する際にも、大いに参考にされたといわれています。
1789年、フランス革命が起こり、国民国家が誕生します。革命政府を認めようとしない隣国のプロイセンは1792年、フランスに宣戦布告を行い、スペインも1793年、フランスに宣戦布告を行いますが、フランスは国家総動員体制の整備などによって反撃に転じ、逆に両国の領土内へ攻め入る勢いを見せました。プロイセンは1795年に至って、フランスに講和を求め、フランスのラインラント併合を認め、引き換えにライン川以東のフランス軍占領地域はプロイセンに返還されます。同年、スペインもフランスと和平し、占領地域の回復と引き換えに革命政府の承認とサントドミンゴの割譲を認めることになりました。このような状況において1795年、「永遠平和のために」が発行されています。
「永遠平和のために」の中でカントは下記事項を提案しています。
第一章 国家間の永遠平和に関する予備的論述
- 戦争原因の排除
- 国家を物件にすることの禁止
- 常備軍の廃止
- 軍事国債の禁止
- 内政干渉の禁止
- 卑劣な敵対行為の禁止
上記は「永遠平和のために」の中に記載されている箇条書きですが、具体的には以下のような意味になります。
- バーゼル平和条約は真の平和条約ではなく停戦協定に過ぎないので更なる戦争の原因とならないよう平和条約への改訂を要する
- フランスによるラインラント併合、ライン川以東のフランス軍占領地域のプロイセンへの返還、フランス占領地域のスペインへの返還、サントドミンゴの割譲など、国家を物件のように取り扱うことを以後禁止する
- 傭兵を全廃すること(自国民の兵役は認める)
- 軍事国債の発行は戦争遂行の財源となるので禁止する
- いかなる国家も他国の体制や統治に軍事力を以て干渉してはならない
- 今後の平和な時期において相互信頼を損ねるような卑劣な敵対行為(暗殺、毒殺、降伏条約破棄等)を禁止する
上記は当時のヨーロッパの情勢に関する提案でもあり、上記のように対比しながら記述すると煩雑なので、以下、その後の恒久平和に関する提言についての難解な原文との対比は止めて、NHKの番組「永遠平和のために」による説明のみを記述します。
ただし、頻繁に使用されるキーワード「人間は邪悪な存在である。放っておくと戦争をする」に関してのみ、これに対する私の理解を以下に記述します。
人間は一人では生存できず、集団をなして社会生活をする。社会の中で、たとえば殺人、窃盗、姦淫、虚言癖などの道徳や法律に反する行為をする個人は社会では許容されず、強制的に社会から排除される。しかし、社会の一員としての個人が、反道徳的で違法な行為をするのは本能や欲望にかられる生来的な自然に従う行為でもある。社会的な観点から見れば個人は生来的には邪悪な存在である。ただし、人間には大脳というツールも大自然ないしは神から与えられており、理性的に判断すれば、本能を自己否定して、欲望を押さえて道徳や法律を守ることができる。個人の社会生活における判断と同様に、国々が隣接する世界においても、戦争をするということは、両国にとって多大な損失を被り、不利であることが理解されるはずである。それにもかかわらず戦争が絶えないのは、国内における治安維持のように道徳や法律を守らない者を排除する仕組みのみならず十分な法律さえ世界には存在しないこと、「勝てば官軍負ければ賊軍」という言葉に代表されるように、勝利すれば一国の欲望が罰せられることなく略奪の利益を得ることができることなどによる。
以下、原文の解説や直接の引用は止めて、萱野による解説が加えられたNHKの番組による説明を以下に記述します。
第二章 国家間の永遠平和に関する確定的論述
集団生活をする動物と同様、人間もテリトリー争いをする。テリトリー争いを嫌う集団は新しい土地へ移動する。人間はこのようにして北極圏にまで暮らすようになった。
テリトリー争いつまり国境紛争であっても、人間は互いに要求し、話し合うことは可能である。国内で個人が話し合い、ルールができたように国家と国家の間でもルールができるはずである。
個人の集団が国家というシステムをつくり、法律というルールを作ったように、国家と国家の間でもシステムとルールをつくる必要がある。
国家と国家の間のシステムは、平和連合であるべきであり、世界全体を一つの統一国家にしてはならない。たとえば、世界全体を統一する「第三帝国」を目指したナチスによる大虐殺が起きた。
平和連合は、世界各国が折り合えるようなやり方で達成可能な目的を定める。どんなに小さな国でも主権国家と認められれば一議席を持つことができ、強者の論理に取り込まれずに済む。
国家間で紛争が起きないようするのが平和連合の目的であり、紛争の種をできるだけ減らための方法を考える。
それは自然の摂理に従うことになる。自然が暫定的に準備したものとして次の3点をあげることができる。
自然は、
- 人間が世界のあらゆる地方で生活できるよう配慮した。
- 戦争によって、人間を人も住めぬような場所にまで駆り立て、そこに居住させた。
- また同じく戦争によって、人間が多かれ少なかれ法的な状態に入らざるをえないようにした。
戦争を経験した人間は、昔、国内で個人間の紛争を避けるために法律をつくったように、国家と国家の間でも法律をつくろうとしている。人間が、国家と国家の間で法律をつくることは自然の摂理に導かれていることである。過去の不幸な経験が、理性のはたらく根拠となり、道徳が生まれる。
経済的交流は戦争の抑止力となる。
国家は個人と同様、本質的に利己的であり、最大の国益を求める。その手段として、短期的には軍事力を行使して収奪や略奪を行うか、または長期的に法の下で商業活動を行う。「勝てば官軍負ければ賊軍」は短期戦略であり、集団の中の個人が一時得をしたように感じたとしても、いずれ「因果応報」によりすべてを失うことになる。
カントの時代は、列強が後進国を植民地化していた時代であり、国益にかなう行動と理解されていた。しかし、20世紀にはいると、宗主国が植民地を維持するために支払うコストが高くつくことが判明し、植民地は消滅する。
日本では植民地維持コストが割に合わないことを体験して理解することがなかったためか、植民地維持コストに関する文献は見当たらず、その代わりに、いまだに「日本の海外進出は(西欧諸国の真似をして遅れをとらないように近隣諸国を侵略し、植民地化しながら)欧米諸国の植民地を解放することが目的であった」などという誰のために何を言い訳しているのか理解不能なものいいのみが散見されるのは残念なことです。
戦後の日本はともかく、中国は第二次世界大戦後もチベットおよびモンゴルを併合し、香港をイギリスから返還させ、現在は、南シナ海への進出を続行しています。ソビエト連邦は、アフガニスタンに侵攻して失敗した後、崩壊し、ロシア連邦になりましたが、現在はウクライナに侵攻しています。
国内に法律が必要であるように、世界の国々のために国際法が必要であり、国際法には道徳が必要である。国際政治が道徳的に営まれればよいということではない。
道徳と政治が一致するということについて「永遠平和のために」の約半分の頁がさかれていますが、以下のように要約できます。
政治が道徳的に営まれれば、永遠平和が実現するということではない。
道徳や理性の導きだけでは平和は作られない。
何らかの人間の本性、自然的傾向に裏打ちされなければ平和は達成されない。
戦争の悲惨さ、戦争によって生活が侵害されることを経験したために、平和への意識が高まった。
本来が邪悪な人間でもルールを作り、平和な国家を導くことができる。
- 国際的な平和連合を作る(これは国際的に統一された世界国家ではない)。
- 経済的交流が戦争を抑止する(商業の精神は戦争と両立しない)。
- 共和的な体制の国家(国民主権:民主主義国家)の樹立(専制政体と異なる)。
- 行政権と立法権の分離。
- 公法の状態(あらゆる国家が共通の法に従う状態)の実現。
- 公開性を条件として公平性を保つ。
悪魔たちであっても知性さえ備えていれば国家を樹立できる。
欲深い悪魔がどうすれば公平な法律を作ることができるか。
ここで、ケーキ好きな悪魔たちが公平にケーキを切り分ける例え話しが紹介されます。
ケーキ好きな悪魔たちを集めて、その中のどの悪魔も、最後の一切れを受け取るという条件でケーキを切らせてみる。不公平にケーキを切ったならば、最後に受け取る悪魔は、もっとも小さいケーキを甘受せざるを得なくなる。だからその悪魔は可能な限り公平にケーキを切るだろう。これは悪魔が道徳的に判断したからではない。理性的に考えれば、理解できることだからだ。
だから悪魔が、ほかの悪魔も自分だけは法律の適用を免れたいと願っているのを知っていながら、たがいに平和と自由を維持できる共同体を設立しようとしたら、外的な法律によって、どの悪魔も特権的な権利を行使することのできない自由で平等な共同体を設立するだろう。そこには道徳性はまったく関与しない。
この例え話の中の「ケーキ」とは国土、「悪魔」とは国家を示していると思います。萱野は番組の中でそのような解説をしなかったので、私個人の想像です。19世紀から20世紀初頭までの植民地獲得競争において「ケーキ」とはアジア、アフリカ諸国、「悪魔」とは西欧諸国でした。日本は「ケーキ」ではなく「悪魔」の一員になろうとしたようです。カントの勧める「道徳性は関与しないが、理性的で公平な法律」がつくられなかったので、第一次および第二次世界大戦が起きました。第二次世界大戦後、現在の「ケーキ」は世界各国の国土であり、「悪魔」とは世界各国の首脳のことですが、悪魔の本来の意味は人間の性格の一面の例えでもあります。疑心暗鬼で睨み合っている不道徳な各国首脳は理性的な悪魔性を発揮して、早く「公平な法律」を作って欲しいものです。
上記のカントの哲学的な論文にもかかわらず、世界国家を目指し、共和国ではなく専制国家となったナチスにより、大虐殺が起きました。
1920年、国際連盟が設立され、60ヵ国が加盟しましたが、日本、ドイツ、イタリアが相次いで脱退し、第二次世界大戦が起きました。
第二次大戦後の1945年、国際連合が設立され、2016年には193ヵ国が加盟し、国連軍も設置され、武力紛争を防止、抑制するために軍隊が派遣されていますが、すべての武力紛争が抑制されているわけではありません。
国際司法裁判所がオランダのハーグに置かれ、国連の司法機関とされていますが、強制力はなく、実効性も持ちません。
カントの理想は、あらゆる紛争を武力を使わず、法的に解決する仕組みを作ることですが、その理想が実現されているとはいえません。
以上が、NHKの番組における萱野の主張ですが、それに沿って、以下、第一次世界大戦から現代にいたる戦争を概観します。
第一次世界大戦のキーワードは「国家総動員」です。前述のように1789年、フランス革命が起きると、これを危険視したヨーロッパ各国は1793年、第一次対仏大同盟を結びます。多くの王政国家からの宣戦布告で、窮地に陥ったフランスは、同年8月に史上初の「国家総動員」を布告して「徴兵制度」を実施し、国民の各階層からの徴兵により、兵士は新たに120万人、傭兵が軍の主力だった他国に比べ、フランス軍は巨大な兵力を持つ国民軍に様変わりします。
大兵団を統率するため、陸軍大臣ラザール・カルノーは軍制改革を行い、個別に独立作戦行動を可能にする「師団」制度をつくります。それぞれが自己完結型で作戦・補給を展開する師団制度は、巨大な兵力で多数の敵と戦うフランス革命戦争に不可欠な組織管理体制でした。
その後、エルバ島に流されていたナポレオン・ボナパルトが同島から脱出して皇帝に返り咲きますが、フランスは1815年、ワーテルローの戦いでイギリス・プロイセンの連合軍に完敗します。しかし、カルノーの軍制改革は、次第にヨーロッパ諸国の軍事制度を変えていきます。
フランスに勝利したプロイセンの第3軍団参謀長であったクラウゼヴィッツは、「王族による戦争は、傭兵を使う半ば八百長試合だったが、ナポレオンはフランスのために命をかける兵士を育て、敵を殲滅するまで戦う戦争に代えた」と指摘しています。
「王族による戦争は、傭兵を使う半ば八百長試合」であるならば、それまでの戦争は職業軍人による戦争であったということを示します。日本国内の戦も武士という職業軍人による戦でした。軍人ないしは武士は、国を守るため、ひいては女性、子供、農民を守るために、国家の最高機関である王族、貴族の命令に従い、隣国の軍人ないしは武士と戦いました。「敵を殲滅するまで戦った」のではなく、敵が敗北するまで戦ったのです。戦争において、自国防衛は正当防衛ですが、侵略、侵攻が正当化されないのと同様に、敵が敗北すれば戦争は終わりであり、殲滅するまで戦うのは過剰防衛、過剰攻撃であって、やはり正当化されません。
「徴兵制度」および「国家総動員」の導入により、職業軍人のみならず、農民、職工、商人までもが戦いに参加するようになりました。古代中国の戦においては、戦車の周囲には農民出身者を配したという記述が「孫氏の兵法」に見られますので、史上初の国家総動員はフランスでなされたのではないかもしれません。しかし、それぞれの時代に出現した新兵器により、軍人の養成が短期間で可能になったと考えられます。
さて、第一次世界大戦は1914年、オーストリア・ハンガリー帝国(以後、オーストリアという)の皇位継承者フランツ・フェルディナンド大公が、同国内のサラエボを訪問した際、セルビア人民族主義者に銃殺されたことが発端とされています。
当時、オーストリア、ドイツ、イタリアには三国同盟が締結され、それに対抗してロシアとフランスには露仏同盟が締結され、さらにイギリスとフランス間には協商が、イギリスとロシア間にも協商が結ばれており、対立の構図はできあがっていました。それとともに各国は隣国への軍事作戦を検討していました。
フェルディナンド大公を殺害されたオーストリアは、懲罰的な目的でセルビアに宣戦を布告し、首都ベオグラードを軍艦から砲撃したことからセルビア・オーストリア間の長期戦が始まります。
セルビアと同じスラブ系民族であるロシアは、セルビアを擁護するために国家総動員を布告します。これに対してドイツは仮想敵国ロシアに対して総動員を止めるよう最後通牒を突き付けます。ロシアはこれに応じないため、ドイツは国家総動員を布告すると同時に、ロシアに宣戦を布告します。これに対して、フランスも国家総動員を布告します。
その後、ドイツ軍のベルギー侵攻、イギリスとドイツの交戦と、戦線はヨーロッパ全体に広がって行きますが、この頃までに既に各国とも「徴兵制」を敷いており、「国家総動員」を布告すること自体が開戦準備と解釈され、宣戦布告ないしは隣国への侵攻の引き金となっています。
各国が隣国との間で互いに疑心暗鬼で戦々恐々として一触即発の状況が生じており、このような状態に陥ると戦争を防止することはできないでしょう。
また、第一次世界大戦以降、フランス革命以前とは異なり、国王、皇帝、大統領、首相、外交官、参謀等のエリート達が実戦に赴くことはほとんどなく、国民を徴兵し、総動員をかけ、宣戦を布告し、国民軍に進軍を指令するのみで、エリート達が戦死することはまれになります。5年間続いた第二次世界大戦においても、ルーズベルトはもちろん、敗戦国の日本の天皇も、東条英機も、戦死しませんでした。ヒットラーも自殺しなければ、死なずに済んだでしょう。
ここでは深入りしませんが、しかし、核弾頭付大陸間弾道弾(以下ICBMという)の出現、配備により、戦争を始めるとエリ−ト達自身が標的となり、ICBM発射命令を下してから約30分後には自分自身が反撃を受けて死亡する可能性が高くなっています。このことが第二次世界大戦後、現在に至るまでICBM保有国間の戦争抑止につながっていると考えられます。
佐藤 優は、歴史からアナロジーやアイロニーを引き出し、捉えることが大切であると言っています。遠い過去の歴史は忘れられがちで、直近の歴史(事件)が重視されるのには、マスメディアの本質的性格が大きく影響しています。政治が歴史教育を管理して、教科書を検閲し、歴史記念物を建設するなどして、マスメディアの賛同が得られた場合、公の世論となりますが、国民のすべてが疑念を持たないとは限りません。
歴史は繰り返さず、共和国の出現、近代兵器の出現、国家総動員の布告、ICBMの配備など、常に新しい技術開発が行われ、新しい社会制度が生み出され、その結果生じる新事態に人間は直面しながら生活しているとも、世界規模の社会実験が継続されているとも考えられます。
人間は子育てしながら生存しているという最も基本的な事実を常に思い出すことが大切だと思います。そこに疑念を持つ人間はいないはずですが、簡単に忘れてしまうことが恐ろしいと思います。
第一次世界大戦末期の1918年1月8日、急遽召集されたアメリカ上下両院議会の合同会議で、ウィルソン大統領は来たるべき講和の原則について演説し、議員たちの絶大な賞賛を受けます。そこで明らかにされたのが「14ヵ条の平和原則」です。一見すると唐突ですが、ウィルソンはアメリカ参戦の前から様々な講和の理想を述べており、その頃からの持論も多く含まれています。しかし、これは中央同盟国のみならず、味方である連合国側にとっても一方的で挑戦的なものでした。
「14ヵ条」の各項目は以下の通りです。
第1条:講和の公開、秘密外交の廃止
列強中心の「旧外交」の温床となっていた秘密外交の廃止と、外交における
公開原則を提唱した。
第2条:公海の自由
第3条:平等な通商関係の樹立
第4条:軍備の縮小
第5条:植民地問題の公正な措置
「民族自決」の一部承認
第6条:ロシアからの撤兵とロシアの自由選択
第7条:ベルギーの主権回復
第8条:アルザス・ロレーヌ地方のフランスへの返還
普仏戦争の結果ドイツ領となったアルザス・ロレーヌ地方のフランスへの返還
が含まれる。
第9条:イタリア国境の再調整
第10条:オーストリア=ハンガリー帝国の民族自決
オーストリア=ハンガリー統治下の諸民族の自治の保障。
第11条:バルカン諸国の独立保証
第12条:オスマン帝国支配下の民族の自治保障
オスマン帝国統治下の諸民族の自治の保障とダーダネルス海峡の自由航行。
第13条:ポーランドの独立
18世紀のポーランド分割の結果消滅していたポーランドの復活・独立。
第14条:国際平和機構(国際連盟)の設立
連合国側にとって受け入れがたい条項として、例えば、「第1条:講和の公開、秘密外交の廃止」は、ラインラントを秘密裏に手に入れようとしていたフランスや、1915年のロンドン秘密条約で領土拡張要求を認められていたイタリアにとって受け入れがたいものでした。また、「第2条:公海の自由」は、ドイツに対して海上封鎖を実施していたイギリスを批判するものでした。
中央同盟国側では、オーストリアは講和の一般原則の受け入れは表明しますが、領土面での妥協を拒否します。ドイツは領土をめぐる譲歩を受け入れがたいとして「14ヵ条」全体を拒絶します。
ドイツは、ウィルソンが「14ヵ条の平和原則」を発表した当日に春季大攻勢の命令を下し、講和は棚上げとなります。しかし、ドイツの優勢は続かず、同年の秋には休戦協定が結ばれ、「14ヵ条」を講和の基本原則とすることが約束されます。翌1919年1月、パリ講和会議が開会されアメリカの全権代表となったウィルソンはこの「14ヵ条」をアメリカの中心的主張としました。しかし、イギリスやフランスは植民地を手放そうとせず、多額の賠償金など敗戦国に厳しい要求が決まり、「14ヵ条」は部分的にしか実現しませんでした。
しかし、「第14条:国際平和機構(国際連盟)の設立」には、軍縮や戦後の各国の安全を保障する機関としての国際連盟の創設が記載されていて、当初から、この条項を問題視する国はありませんでした。この条項は1919年6月に調印された講和条約(通称:ヴェルサイユ条約)の第1章「国際連盟憲章」として条文に盛り込まれ、翌1920年に国際連盟が設立され、本部はスイスに置かれました。
しかし、アメリカの上院では、ウィルソンの民主党と対立する共和党の勢力が強くて国際的な負担が嫌がられ、条約は批准されず、アメリカは国際連盟に加入しませんでした。それでも世界初の大規模な国際組織として、平和を守る活動が行われました。ウィルソンはこの功績で1920年12月、ノーベル平和賞を受賞しました。
国際連盟は、第二次世界大戦後には国際連合へと受け継がれていますが、オバマ前大統領のノーベル平和賞受賞や、トランプ大統領によるアメリカの新孤立主義への動きに何やらアナロジーを感じます。
カントが願った永遠平和が実現されているとは感じられません。
国際連盟は1932年、アインシュタインに対して「今の文明でもっとも大事だと思われる事柄を取り上げ、一番意見を交換したい相手と書簡を交わしてください」と依頼し、アインシュタインは、心理学者ジークムント・フロイトを議論の相手に選びました。
この書簡が交わされた1932年、フロイトは76歳、アインシュタインは53歳、ナチスによるユダヤ人迫害が激しくなっていましたが、アインシュタインはドイツ、ポツダム近郊、カプート村でこの書簡を記し、同年中にアメリカへ亡命します。フロイトは1938年、オーストリアからイギリスへ亡命します。
さて、アインシュタインは、書簡のテーマとして「人間を戦争というくびきから解き放つことはできるのか?」というテーマを選びました。記載内容の抜粋は以下のとおりです。
戦争の問題を解決するには、すべての国家が一致協力して、一つの機関を創り上げ、この機関に国家間の問題に関する立法と司法の権限を与え、国際的な紛争が生じたときには、この機関に解決を委ね、その決定に全面的にしたがわせます。この司法機関には権力が必要になります。国際的な平和を実現しようとすれば、各国が主権の一部を完全に放棄し、自らの活動に一定の枠をはめなければなりません。
数世紀ものあいだ、国際平和を実現するために、数多くの人が真剣な努力を傾けてきました。それにもかかわらず、いまだに平和が訪れていません。
それは、少数の権力者たちが学校、マスメディア、さらには宗教組織をも手中に収め、多くの国民がこれらに煽り立てられ、自分の身を犠牲にしていく。その理由は、人間には本能的な欲求が潜んでいる。憎悪に駆られ、相手を絶滅させようとする欲求が!人間の心を特定の方向に導き、憎悪と破壊という心の病に冒されないようにすることはできるのか?
特に、いわゆる「教養のない人」よりも「知識人」の方が暗示にかかり、致命的な行動に走りやすいことに注意を要します。「知識人」は生の現実を自分の目と耳で捉えず、紙の上の文字を頼りに複雑に練り上げられた仮想を、現実として安直に捕らえようとするからです。
ここでいう「知識人」とは、藤原正彦がいう「エリート達」であり、その教育の困難さについて述べられています。
あなたの最新の知見に照らして、世界の平和という問題に、あらためて集中的に取り組んでいただければ、これほど有難いことはありません。
上記アインシュタインの書簡に対するフロイトの応答は、まず、アインシュタインの平和に関する考え方に基本的に同意しながらも、心理学では現実の緊急の課題を解決することは困難であると述べています。それでも、逆の提案として、自分たち平和主義者が戦争に対して強い憤りを覚える理由について疑問を投げかけ、文化の発展を促せば、戦争の終焉へ向けて歩みだすことができる!と結んでいます。
フロイトの応答書簡の抜粋は以下のとおりです。
あなたが取り上げたテーマを聞いたとき、驚きを禁じ得ませんでした。人間を戦争というくびきから解き放つために、いま何ができるのか?
あなたが手紙の中で端的に主張したように、戦争を確実に防ごうと思えば、皆が一致して強大な中央集権的な権力を作り上げ、何か利害の対立が起きたときには、この権力に裁定を委ねるべきなのです。それには、現実にそのような機関が創設されることと、その裁定を押し通すのに必要な力を持たせることです。
いま、多くの人は国際連盟こそ、そのような中央集権的な機関だと考えています。しかし、各国が自身の権力を国際連盟に譲り渡すことはなく、国際連盟は独自の権力、自分の意思を押し通す力を持っていません。しかし、国際連盟という実験は、人類史上かつて行われたことのない、きわめて稀な大がかりな規模の実験です。
ここで、あなたの別の主張にコメントを加えます。人間はなぜ、いとも簡単に戦争に駆り立てられるのか。それはあなたの主張通り、人間には、憎悪に駆り立てられ、相手を絶滅させようとする本能的な欲求が潜んでいると私は信じています。
余談になりますが、第一次世界大戦最初の戦闘がオーストリア・ハンガリーからセルビアに対する艦砲射撃で始まった1914年、フロイトは「この30年で初めて、私はオーストリア人であることを感じている」と意気軒高で、自らの理論の中心概念である性本能を発現させるエネルギー、リビドーに触れて「私のリビドーはすべてオーストリア・ハンガリーに捧げられている」と述べています。しかし二週間もすると、セルビアに手こずるのを見て、オーストリア熱は冷めます。その後、息子のうち二人が出征して、その身も案じられるようになり、一年もすると戦争に対する幻滅を口にするようになっていきます。フロイトは子育てをする真面目な夫だったと思われます。以下、フロイト書簡の引用に戻ります。
人間の欲動には、保持し統一しようとする「エロス的欲動」と、破壊し殺害しようとする「攻撃・破壊本能」の二種類があります。
自分の身体や生命を保持したいという欲動はエロス的な欲動ですが、攻撃的なふるまいができなければ、自分を保持することができません。愛の欲動により、その対象を手に入れようと思えば、力尽くで奪い取ろうとする欲動が必要になります。
ともあれ、あなたもご指摘の通り、人間の攻撃性を戦争という形で発揮させないで、別のはけ口を見つけてやればよいのです。それには、反対の欲動「エロス」を呼び覚ませばよいことになります。人と人の間の感情と心の絆を作り上げるものは、すべて戦争を阻みます。宗教でも、汝、隣人を汝自身ごとく愛せよと言われていますが、こうした間接的な方法で、すぐに戦争を根絶させることができるとは思えません。
おわかりでしょう。現実の緊急の問題を解決しようとするときに、世俗に疎い理論家に相談するよりも、手元にあってすぐに使える方法で対処するほうが望ましいのではないでしょうか。
ですが、ここで私の方から一つ問題を提起させてください。私たち(平和主義者)は、なぜ戦争に強い憤りを覚えるのか?あなたの手紙の中では言及されていませんでしたが、私が強い関心を寄せている問題です。
私たちが戦争に強い憤りを覚える理由は、心と体が反対をせざるを得ないからだと考えます。はるかなる昔から、人類の中に文化が発達し広まってきました。人間の内にある最善のものは、すべて文化の発展があったからからこそ、身に付けることができたものなのです。
しかし、優れたものばかりではありません。文化の発展のために人間の性的な機能がさまざまな形で損なわれてきています。今日ですら、文化の洗礼を受けていない人種、文化の発展に取り残された社会階層の人たちが急激に人口を増加させているのに対し、文化を発展させた人々は子供を産まなくなっています。
それに対して、文化の発展による変化として、ストレートな本能的な欲望に導かれることが少なくなり、本能的な欲望の度合いが弱まってきます。私たちの祖先なら強く興奮を覚えたもの、心地よかったものも、今の時代の人間には興味を引かないもの、耐え難いものになってしまっています。
道徳や美意識にまつわるものなど、私たちが追い求めるものが変化してきたわけですが、それが究極的には心と体全体の変化なのです。心理学的な側面から眺めてみた場合、文化が生み出すもっとも顕著な現象は二つです。一つは、知性を強めること。力が増した知性は欲動をコントロールしはじめます。二つ目は、攻撃本能を内に向けること。好都合な面も危険な面も含め、攻撃欲動が内に向かっていくのです。
文化の発展が人間に押しつけたこうした心のあり方 ― これほど、戦争というものと対立するものはほかにありません。だからこそ、私たちは戦争に憤りを覚え、戦争に我慢がならないのではないでしょうか。戦争への拒絶は、単なる知性レベルでの拒否、単なる感情レベルでの拒否ではないと思われます。少なくとも平和主義者なら、拒絶反応は体と心の奥底からわき上がってくるはずなのです。
文化の発展が生み出した心のあり方と、将来の戦争がもたらすとてつもない惨禍への不安 ― この二つのものが近い将来、戦争をなくす方向に人間を動かしていくと期待できるのではないでしょうか。どのような回り道を経て戦争が消えていくのか推測することは出来ませんが、いまの私たちにもこういうことは許されていると思うのです。
文化の発展を促せば、戦争の終焉へ向けて歩みだすことができる! |
アインシュタインの「戦争を防ぐには、理念、倫理、思想だけでは統括することが不可能であり、法による支配が必要となり、それを支える権力が不可決である」という考え方にフロイトは同意しながらも、さらに「文化の発展を促せば、戦争の終焉へ向けて歩みだすことができる」と付け加えています。これは司法機関に必要な権力、暴力、あるいは強制力を強調しない点において、カントのいう「公開性を条件として公平性が保たれた公法の状態を実現すれば、永遠平和が維持される」という以下の主張に類似しています。
公法の状態を実現することは義務であり、同時に根拠のある希望でもある。これが実現されるのが、たとえ無限に遠い将来のことであり、その実現に向けてたえず進んでいくだけとしてもである。だから永遠平和は、これまで誤って平和条約として呼ばれてきたもの(それはたんなる戦争の休止にすぎない)の後に続くものではないし、単なる空虚な理念でもなく、実現すべき課題である。この課題が次第に実現され、つねにその目標に近づいてゆくこと、そして進歩を実現するために必要な時間がますます短縮されることを期待したい。 |
NHKの番組の中で萱野は、次のように解説しています。現実にはカントの「永遠平和のために」が出版された後に、第一次世界大戦が起き、国際連盟は設立されましたが、さらに第二次世界大戦が起きました。国際連盟には法による完全な支配も、それを支える暴力(強制力)も欠如していたからです。
しかし、第二次世界大戦後に設立された国際連合においても同様に、完全な支配も、それを支える暴力(強制力)も欠如しています。それにもかかわらず、現在まで世界大戦は起きていません。次にその点を検討します。
第二次世界大戦後、現在まで世界大戦は起きていない理由を簡単に説明するのは困難なので、関連事項をウィキペディアより引用します(ウィキペディアの日本語版と英語版は必ずしも互いの翻訳ではなく、個別に編纂されているので、このページでは英語版を翻訳したものを記載し、英語ページでは原文をそのまま引用します)。
下記3つの事項は、第二次世界大戦後、現在まで世界大戦は起きていない主な理由を示すと考えられます。
- 冷戦
- キューバ危機
- 相互確証破壊(MAD)
- 冷戦
冷戦とは、第二次世界大戦後の東側諸国(ソビエト連邦およびその衛星国)列強国と西側諸国(米国、NATO同盟国、その他)列強国との間の地政学的緊張状態のことである。対立は、軍事、外交、経済のみならず、宇宙開発、航空技術、文化、スポーツなどにも大きく影響を及ぼした。ソ連の経済は、1980年代の石油価格の下落によって停滞し、外貨収入は急減した。ミハイル・ゴルバチョフは1987年6月、ペレストロイカと呼ばれる経済改革の議題を発表した。ペレストロイカによって生産割当制度は緩和され、企業の個人所有が許可され、外国投資の道が開かれた。こうした措置の目的は、高額費用を要する冷戦の軍事的責務から、より生産性が高い民間セクターの領域へ国の資源を振り向けることであった。ゴルバチョフとロナルド・レーガンは1987年12月、ホワイトハウスで中距離核戦力(INF)全廃条約に署名した。1990年代の初めに、超大国間の緊張が緩和された。レーガンは1987年6月、ブランデンブルク門の前で「この壁を壊しなさい!」の演説を行った。ゴルバチョフとジョージ・W・ブッシュは1989年12月、マルタ会談において冷戦の終了を宣言した。冷戦が1945年2月のヤルタ会談から始まり、1989年12月のマルタ会談で終わったことから、マスメディアでは「マルタからにヤルタへ」と報道された。
- キューバ危機
キューバ危機とは、冷戦期間中の1962年10月の13日間(1962年10月16-28日)に生じたアメリカとソビエト連邦の間の対立のことである。アメリカがイタリアとトルコに弾道ミサイルを配備したことに対抗して、ソビエトがキューバに弾道ミサイルを配備しようとしてこの危機が生じた。アメリカ空軍U-2スパイ偵察機が、ソビエト製準中距離(SS-4)および中距離(R-14)弾道ミサイル設備の明瞭な証拠写真を撮影したことにより、ミサイル準備が確認された。アメリカは、さらなるミサイルがキューバに到着するのを防ぐため、軍事封鎖を実施した。緊迫した長期交渉の結果、アメリカ大統領ジョン・F・ケネディとソ連首相フルシチョフとの間で合意に達した。すべての攻撃用ミサイルおよびイリューシンII-28軽爆撃機がキューバから撤収された時点で封鎖は正式に終了した。この対立により、冷戦が本格的な核戦争に拡大する可能性が最も高かったと見なされることが多い。
- 相互確証破壊(MAD)
相互確証破壊(MAD)とは、対立する複数の国家が核兵器を全面的に使用する(先制核攻撃および第二次攻撃)ことにより、攻撃国と防衛国の両者が完全に絶滅する原因となる軍事戦略および国家安全保障政策の理論である。これは、敵国に対して強力な兵器を使用するという脅威を与えることにより、敵国が同じ兵器を使用するのが防止されるという、抑止力の理論に基づいている。
1962年のキューバ危機以前に、アメリカおよびソ連は、核弾頭ミサイルの水中発射が可能な潜水艦の開発を完了しており、MAD理論を完全に実施するために必要な核兵器戦略の三本柱が完成していた。
相互確証破壊(MAD)という理論は、軍事ドクトリンとして公式に承認され、ケネディ政権が終わる頃から注目され始めた。
下記事項は、相互確証破壊(MAD)ドクトリンに基づく、核戦略の一例を示すと考えられます。
- ニュークリア・シェアリング
ニュークリア・シェアリングとは、自国で核兵器を持たない加盟国を、NATOの核兵器使用計画に関与させるという、NATOの核抑止力政策における概念である。特に、核兵器の使用に際し、核兵器の配備に関与する加盟国の軍隊のために準備する。ニュークリア・シェアリングの一環として、加盟国は協議を行い、核兵器政策に関する共通事項を決定し、核兵器の使用に要する技術機器(核攻撃可能航空機など)を維持し、自国領土内に核兵器を保管する。
第二次世界大戦後、キューバ危機という核戦争の危機は発生しましたが、そこで実質的に生み出された相互確証破壊(MAD)という考え方(それ以降に相互確証破壊(MAD)ドクトリンとして明文化された)に基づいて危機は回避され、冷戦時代から現在に至るまで世界大戦は起きていません。
第二次世界大戦後、世界大戦は起きていないものの、世界各地で多くの地域紛争は発生しています。下表は、各地で発生してきた紛争の期間と戦死者数を示します。比較のために表の下欄に第一次世界大戦および第二次世界大戦による死者数も表示していますが、これら地域紛争による死者数は既に、第一次世界大戦による死者数を上回り、統計の見方によっては第二次世界大戦による死者数と同等か、それ以上ともみなされます。
平均死者数300,000人以上が発生した戦争のリスト
| 単位:千人 | |
戦争の名称 | 死者数範囲 | 相乗平均人数 | 期間 | 場所 |
国共内戦 | 8,000 | 11,692 | 9,671 | 1927-1949 | 中国 |
第二次コンゴ戦争 | 2,500 | 5,400 | 3,674 | 1998-2003 | 中央アフリカ |
ベトナム戦争 | 800 | 3,800 | 1,744 | 1955-1975 | ベトナム |
ナイジェリア内戦 | 1,000 | 3,000 | 1,732 | 1967-1970 | ナイジェリア |
アフガニスタン紛争 | 1,240 | 2,000 | 1,620 | 1978-現在 | アフガニスタン |
第二次スーダン内戦 | 1,000 | 2,000 | 1,414 | 1983-2005 | スーダン |
朝鮮戦争 | 1,200 | 1,200 | 1,200 | 1950-1953 | 朝鮮半島 |
ソビエト・アフガン戦争 | 600 | 2,000 | 1,095 | 1979-1989 | アフガニスタン |
エチオピア内戦 | 500 | 1,500 | 866 | 1974-1991 | エチオピア |
アルジェリア戦争 | 350 | 1,500 | 725 | 1954-1962 | アルジェリア |
対テロ戦争 | 272 | 1,260 | 585 | 2001-現在 | 世界規模 |
イラン・イラク戦争 | 289 | 1,100 | 564 | 1980-1988 | 中東 |
アンゴラ内戦 | 504 | 504 | 504 | 1975-2002 | アンゴラ |
第一次スーダン内戦 | 500 | 500 | 500 | 1955-1972 | スーダン |
シリア内戦 | 470 | 470 | 470 | 2011-現在 | シリア |
第一次コンゴ戦争 | 250 | 800 | 447 | 1996-1997 | コンゴ |
イラク戦争 | 177 | 1,120 | 445 | 2003-2011 | イラク |
第一次インドシナ戦争 | 400 | 400 | 400 | 1946-1954 | 東南アジア |
ソマリア内戦 | 300 | 500 | 387 | 1986-現在 | ソマリア |
ブルンジ内戦 | 300 | 300 | 300 | 1993-2005 | ブルンジ |
相乗平均30万人未満 | 3,568 | 6,302 | 4,525 | | |
合計: | 24,246 | 50,348 | 33,148 | | |
| | | | | |
第一次世界大戦 | 8,546 | 21,000 | 13,396 | 1914-1918 | 世界規模 |
第二次世界大戦 | 15,843 | 85,000 | 36,697 | 1939-1945 | 世界規模 |
地域紛争は、当事者国に固有の事情があり、地政学的背景はそれぞれ異なり、核兵器は保有されていないか、または少なくとも核兵器戦略の三本柱が完成しないため、相互確証破壊(MAD)は適用されず、かえって一概に論ずることは困難です。
ここでは、「避けられたかもしれない戦争(The Fog of Peace)」の記述の一部を紹介するに留めます。同書は、フランス人の著者ジャン・マリー・ゲーノが国連平和維持活動(PKO)担当事務次長として、実務に携わった8年間の教訓をまとめたものです。
彼は世代的に戦争の経験がなかったために当初は、民主化や人道目的での介入に違和感はなかった。しかし、紛争介入の過程で、理想と現実のギャップを思い知ることになる。2001年同時多発テロ以降の軍事介入後、新たな混乱が多数発生したからである。
2001年のアフガニスタン戦争で、アメリカの攻撃が始まった当初は、多くの人々が勝利を収めたと捉え、正しい戦争であると認識したが、安定化の取り組みの必要性とその大変さをきちんと認識している人はごく少なかった。
アフガニスタン戦争はいまや、失敗した、必要性さえ不明確な戦争だったと位置づけられつつある。
介入の正しさは正義感だけでなく、介入による成果と被害を総合的に判断して決めるべきである。また、国際社会は打倒すべき不正については一致できるが、その地域をどうしてゆくべきかについては一致できないことが多く、そもそもあるべき秩序が検討されていない場合すらある。したがって、地域に秩序をもたらす具体的な方法論は存在しない。
地域紛争は別として、世界戦争には核兵器が多大な影響を与えます。アメリカ科学者連盟(FAS: Federation of American Scientists)による2017年の世界核戦力の状態 (Status of World Nuclear Forces 2017)によると、世界の核兵器保有数は、1986年ピーク時の約70,300基から2018年初頭の予測数14,200基へと、冷戦以降かなり減少しました(下図)。
世界の核弾頭推定備蓄数(1945〜2018年)
下図をクリックすると拡大図が表示されます。
現在の核兵器保有数について、同じくアメリカ科学者連盟(FAS)による2018年の世界核戦力の状態 (Status of World Nuclear Forces 2018)を以下に引用します。
2018年の世界核戦力の状態 |
国名 | 戦略配備 | 非戦略配備 | 非配備保有 | 軍事備蓄 | 合計在庫 |
ロシア | 1,950 | 0 | 2,350 | 4,300 | 7,000 |
アメリカ | 1,650 | 150 | 2,200 | 4,000 | 6,800 |
フランス | 280 | n.a. | 10 | 300 | 300 |
中国 | 0 | ? | 270 | 270 | 270 |
イギリス | 120 | n.a. | 95 | 215 | 215 |
イスラエル | 0 | n.a. | 80 | 80 | 80 |
パキスタン | 0 | n.a. | 120-130 | 120-130 | 120-130 |
インド | 0 | n.a. | 110-120 | 110-120 | 110-120 |
北朝鮮 | 0 | n.a. | ? | / | ? |
合計: | ~3,600 | ~150 | ~5,525 | ~9,300 | ~14,200 |
注:中国は1,600〜3,000基の核弾頭を所有しているという説もあったが、少なくとも数百基は所有していると考えられる。核弾頭が完全配備されてはいないが、貯蔵は集中管理されている。非戦略核兵器の存在は不明確である。DF-31/31AおよびJL-2ミサイル用新型弾頭の生産とともに兵器は増加している。
上記以外に、ベルギー、ドイツ、イタリアおよびオランダは、ニュークリア・シェアリングによってアメリカから核兵器の提供を受けて自国領土内に備蓄し、核兵器搭載可能な軍用機などの技術・装備を保持しています。また、1991年にソ連が崩壊するまで保有されていた膨大な核兵器は新たな4つの共和国(ロシア、ウクライナ、カザフスタンおよびベラルーシ)に分散されましたが、ウクライナ、カザフスタンおよびベラルーシの核兵器は1991年、すべてロシアに移送されました。
核保有国の中で、アメリカ、ロシアおよび中国(核保有数は不明ですが)の3ヵ国の核兵器保有数は突出しており、現在の相互確証破壊による核抑止の中核をなしていると考えられます。イギリスおよびフランスの核兵器はロシアにとって1990年頃からアメリカを中心としたNATOないしは西側諸国の一部として見られているでしょう。中国は西側諸国に属してはいませんが、ロシアを盟主とする東側とみなすこともできないでしょう。世界一の人口を抱え、世界第二位のGDPを生み出し、自動車生産台数がアメリカの2倍以上(日本の5倍以上)で世界一の中国を冷戦時代の東西対立構造で捉えることはできません。
こうした現状から、上記の3ヵ国(以下ここでは仮に「三国」という)は、その一国が三国の内の他国を核攻撃した場合、直ちに報復核攻撃を行うと考えられます。また、三国以外の核保有国が三国の一国を核攻撃した場合も直ちに報復核攻撃すると考えられます。この現状を三国が明文化して、世界に宣言すればよいと思います。現状を追認するだけですから難しいことではないと思います。第一項は以下のとおりです。
-
三国は他国から核攻撃を受けた場合、直ちに報復核攻撃を行う。
さらに二項目を追加します。
-
三国以外の核保有国が他国を核攻撃した場合は、核戦争の拡大防止のために、三国が報復攻撃を行う。
- 三国以外の核保有国は一定の猶予期間内にすべての核兵器を解体し、廃絶し、三国による査察を受ける。そこで核兵器の隠蔽保有が発見された場合は、数日間の退避猶予時間後に、三国はその核施設を核攻撃する
これで、三国以外の核保有国はなくなると期待されます。その後、三国の対立は続きますが、核兵器未使用の期間が長引くにつれて、核保有の無駄が自覚されて保有数は漸減すると期待されます。この方が核保有数削減交渉より有効と思います。ただし、世界の安全保障のために三国による一定数の核保有は必要と考えられます。この対策案は、相互確証破壊を前提とした考え方の延長線上にありますが、現状を眺めるとこのように考えたくなります。
実際にはこのように単純化するとは困難であり、核兵器の禁止や廃絶に関して、以下のような条約、国連での決議や取り組みが行われています:
核兵器の不拡散に関する条約(NPT: Treaty on the Non-Proliferation of Nuclear Weapons)
1963年に国連で採択され、関連諸国による交渉、議論を経て1968年に最初の62ヵ国による調印が行われ、1970年3月に発効した。25年間の期限付きで導入されたため、発効から25年目にあたる1995年にNPTの再検討・延長会議が開催され、条約の無条件、無期限延長が決定された。採択・発効後も加盟国は増加し、2015年2月現在の締結国は191ヵ国である。非締約国はインド、パキスタン、イスラエルおよび南スーダン。
包括的核実験禁止条約(CTBT: Comprehensive Nuclear Test Ban Treaty)
1996年6月、国連総会によって採択され、2016年9月現在で183ヵ国が署名、166ヵ国が批准しているが、発効要件国(核兵器保有国を含む44ヵ国)の批准が完了していないため未発効である。
核兵器禁止条約(Treaty on the Prohibition of Nuclear Weapons)
2007年4月、コスタリカおよびマレーシア両政府の共同提案として正式に国連へ提出され、2017年7月7日に122ヵ国・地域の賛成多数により採択されたが、全核保有国は不参加、アメリカの核の傘の下にあるカナダやドイツなどNATO加盟国や日本、オーストラリア、韓国なども不参加となっている。
核兵器廃絶決議案(Draft Resolution on Nuclear Disarmament)
1994年以降、日本が毎年提出し、採択されている。2016年12月の国連総会では加盟193ヵ国中、167ヵ国が賛成したが、2017年12月の国連総会では賛成156、反対4、棄権の賛成多数で採択されたが、賛成国数は減少している。
上記は、いずれも実効性が限定され、将来性も明確ではありませんが、カナダが実際に一度核武装した後、現在は廃絶している「カナダの核兵器在庫」の例、中南米諸国の非核武装で実際に発効された「トラテロルコ条約」の例、および「これまでに署名された非核兵器地帯条約」の実例を以下に記載します。
カナダの核兵器在庫
1963〜1972年の間、カナダの基地には合計250〜450基の核弾頭があった。また、1963年から1984年の間、1.5キロトンのW25弾頭で武装されたジニーミサイルが最大で108基あった。
カナダの一般市民は「発言権を与えられないままの焦土化」という事態に危惧を抱き、相互確証破壊(MAD)ドクトリンがカナダにとって最善の利益になると広く信じるに至った。MADに引き付けられたのは、カナダがアメリカとソ連の間に位置するため、撃墜されたり到達しなかった核兵器がカナダの国土に落下する可能性が高く、いかなる核攻撃の応酬によってもカナダが無傷でいられる可能性が低いからである。
ピエール・トルドー首相の1971年防衛白書には、この動向が以下のように記載されている。
「近年の国際情勢の最も重要な変化の1つは、核抑止力の安定化および、アメリカとソビエト連邦の間に効果的な核均衡が出現したことである。両国とも現在、相手国による奇襲攻撃に対して壊滅的な報復を保証するのに十分な核戦力を保有しているために、両国とも意図的な攻撃開始を検討することは合理的でない」。
1987年においてもなお、マルロニー首相の防衛白書には、「それぞれの超大国は現在、相手国を全滅させる能力を有しており、相互抑制の構造は効果的で安定していることに変化がないものと政府は確信している」と認識されている。「不当な類焼」によって予想される被害を前提として、抑止を最も奨励する理論を支持することが戦略的に最も健全であるように、カナダ人は感じているように思われる。
カナダには1984年現在、永久配備の核兵器はなくなっているが、アメリカおよびその核兵器計画にカナダは引き続き協力している。カナダでは、核兵器運搬システムの試験が許可され、カナダ政府が許可した場合、核兵器輸送船舶はカナダの港への入港が可能となり、核弾頭搭載航空機はカナダ空域を飛行することが可能となる。しかし、この連邦政策には民衆の反対がある。「核兵器許容」指定都市または地域に居住するカナダ人の60%には、カナダの核兵器に対する現代の嫌悪感が反映されている。また、カナダ自体が1984年に核武装を解除した後も、NATOの「核の傘」の下に留まり続けており、カナダのNATOに対するコミットメントに反することがないよう、核武装国の支持を引き続き維持している。
トラテロルコ条約
トラテロルコ条約は、ラテンアメリカ及びカリブ核兵器禁止条約の通称名である。 同条約に基づく事務局として、OPANAL(スペイン語:Organismo para la Proscripcion de las Arma Nucleares en la America Latina y el Caribe = ラテンアメリカ及びカリブ核兵器禁止条約機構)が設置されている。
また、同条約に基づき、加盟国は「あらゆる核兵器の試験、使用、製造、生産または何らかの手段による取得」および「あらゆる核兵器の受領、保管、設置、配備および何らかの形態による所有」の禁止および防止に同意している。
この条約には、さらに2つのプロトコルが追加されている:プロトコルIにより、地域内に領土を有するこれら海外諸国(アメリカ、イギリス、フランス、およびオランダ)は、条約の条件に拘束される。プロトコルIIにより、世界の核兵器所有宣言諸国は、地域内の非核兵器保有国をいかなる方法によっても攻撃しないよう要求される。プロトコルIIは、アメリカ、イギリス、フランス、中国およびロシアよって承認され、批准された。
1967年2月14日、メキシコ市のトラテロルコ地区で開催された会議において、ラテンアメリカおよびカリブ諸国は自国の領土を核兵器から解放するために、この条約を起草した。1961年の南極条約に基づき、南極は以前から核兵器から解放された地域として宣言されていたが、このように広大な人口密集領域において核兵器が禁止されたのは初めてのことである。
キューバ危機の後、ラテンアメリカ非核化準備委員会(COPREDAL)が作られた。
キューバ以外のすべてのラテンアメリカ諸国は1967年、条約に署名し、その後ジャマイカおよびトリニダード・トバゴに続いて、すべての諸国が1972年、条約を批准した。メキシコとともにエルサルバドルが条約を批准し、その加盟条件が免除された後、条約は1968年4月22日に発効された。
アルゼンチンは、フォークランド戦争中(1982年)にはこの地域による保障措置を受けなかったが、署名後26年以上を経過した1994年、条約を批准した。
アルゼンチンは核兵器を生産しなかったが、長年の間秘密の核兵器プログラムを追求してきた。アルゼンチンは核不拡散条約(NPT)への加盟を拒否し、トラテロルコ条約に署名しなかった。その間、ガス拡散濃縮プラントが建設された。再処理施設の建設はしばらく進められたが、1990年に中断された。ウラン採鉱、製錬、および転換のため、および燃料成形加工のために多くの用地および設備が開発された。ミサイル開発計画は数年間推進され、特にCondor IIミサイル計画は1983年から1980年代後半ないしは1990年代初期まで遂行された。アルゼンチンの核計画は多くの国々によって支援された。発電用原子炉はカナダおよび西ドイツから供給され、重水プラントはスイスから、核施設はソビエト連邦から供給された。ホットセルは1969〜1972年に稼働したが、国際的な保障措置はなく、ホットセルで処理された使用済み核燃料の量に関する数値は様々である。
しかし、1983年に民主党政権が復活すると、新しい大統領は核計画を文民統制下に置いて、核の信頼性を構築し隣国ブラジルとの協力を進める手続きを開始した。
アルゼンチンは1992年、ブラジルと二国間協定を締結し、両国の核原料および設備を相互監視組織、アルゼンチン・ブラジル計量管理機関(ABACC)の監督下に置いた。また、ブラジルとともに国際原子力機関(IAEA)の包括的保障措置協定に署名した。
アルゼンチンの上院は1993年3月24日、トラテロルコ条約を批准し、アルゼンチンがラテンアメリカおよびカリブの非核地帯を求める1967年の条約に加盟する25番目の国になることに一歩近づいた。その後アルゼンチンは1993年、ミサイル技術管理レジーム(MTCR)の加盟国となり、1995年2月、非核兵器国としてNPTに加盟した。欧州連合は、アルゼンチンがNPTに加盟したことにより、その核不拡散へのコミットメントを確認した。このコミットメントは、アルゼンチン、ブラジル、IAEA 、およびトラテロルコ条約で決定された核保障措置に関する四者協定で既に実証済みであったことでもある。
キューバが最後に、この条約に1995年に署名し、2002年10月に批准したことにより、ラテンアメリカおよびカリブ諸国の全33ヵ国の署名および批准は完了した。
メキシコの外交官アルフォンソ・ガルシア・ロブレスは、条約を促進した努力に対して1982年ノーベル平和賞を受賞した。
これまでに署名された非核兵器地帯条約
1. トラテロルコ条約(ラテンアメリカ及びカリブ核兵器禁止条約、署名1967年、発効1968年)
2. ラロトンガ条約(南太平洋非核地帯条約、署名1985年、発効1986年)
3. バンコク条約(東南アジア非核兵器地帯条約、署名1995年、発効1997年)
4. ペリンダバ条約(アフリカ非核兵器地帯条約、署名1996年、発効2009年)
5. 中央アジア非核兵器地帯条約(署名2006年、発効2009年)
2018年4月現在の非核兵器地帯(NWFZ)の概要を下図に示します。
非核兵器地帯(NWFZ)
核保有国
NATO核共有国
核拡散条約(NPT)のみ
萱野がいうように「カントが『永遠平和のために』を出版したのにもかかわらず、第一次、第二次世界大戦が起きた」ということではなく、カントが提唱した下記2つの要件が実現していないから、二度の世界大戦が起きたと考えられるのではないでしょうか。また、共和国であったドイツがナチスによる専制国家になったために、大虐殺が起きたとも考えられます。むしろ、カントはこれらの事態を予言していたのであり、それが実証された第二次世界大戦後現在に至る世界では、文化が十分に発展して公法の状態が実現されるまでの間、カントの提唱を見直すべきではないでしょうか。
1. 世界各国は共和国でなければならない。
2. 公法の状態が実現されなければならない。
アインシュタインとフロイトは、戦争を防ぐには、世界の戦争を取り締まる力、暴力が必要だと考えていますが、一方で、フロイトはアインシュタインに提起した疑問の中で、カントの考えとの一致するところもあります。つまり、「文化が発達すれば戦争はなくなる」とも述べています。
フロイトからアインシュタインへの手紙の最後の言葉をここに再掲します。
文化の発展が生み出す心のあり方と、将来の戦争がもたらすとてつもない惨禍への不安 - この二つのものが近い将来、戦争をなくす方向に人間を動かしていくと期待できるのではないでしょうか。これは夢想的な希望ではないと思います。どのような道を経て、あるいはどのような回り道を経て、戦争が消えていくのか、それを推測することはできません。しかし、いまの私たちにもこういうことは許されていると思うのです。文化の発展を促せば、戦争の終焉へ向けて歩みだすことができる! |
カントの「永遠平和のために」の最後の言葉をここに再掲します。
公法の状態を実現することは義務であり、同時に根拠のある希望でもある。これが実現されるのが、たとえ無限に遠い将来のことであり、その実現に向けてたえず進んでいくだけとしてもである。だから永遠平和は、これまで誤って平和条約として呼ばれてきたもの(それはたんなる戦争の休止にすぎない)の後に続くものではないし、単なる空虚な理念でもなく、実現すべき課題である。この課題が次第に実現され、つねにその目標に近づいてゆくこと、そして進歩を実現するために必要な時間がますます短縮されることを期待したい。 |
出版物「永遠平和のために/啓蒙とは何か」の中の「永遠平和のために - 哲学的な草案」には下記のような戦争防止に関する記述があります:
- 国民が、みずからと祖国を防衛するために、外敵からの攻撃にそなえて、自発的に武器をとって定期的に訓練を行う必要がある。
- 国家が自分の権利を追求する方法は、国際的な裁判所に訴える訴訟という形をとることはなく、戦争によらざるを得ない。
つまり、カントによれば、各国は祖国を防衛するために、国際的な裁判所に訴えるのではなく(国連軍に依存せず)、戦争によらざるを得ないために自国の防衛軍は戦争を実行するよう求められます。したがって、技師は、武器、兵器を開発し、製造するよう求められます。
4. 日本の将来
世界に公法が実現していなくて、自国を守るために軍事力が必要である現状では、自国を守るための武器開発、製造は正当化されると考えられます。
そのために、西堀栄三郎の「技士道十五ヶ条」における倫理の問題は技師が検討するのではなく、特に武器の開発については自国を守るための努力目標の一つとして明記すべきであると考えられます。
西堀栄三郎の「技士道十五ヶ条」を基に、ここまでの記述で条項を見直した結果、技師は下記12の条項を心得るのがよいと考えられます。
- 大自然に感謝する
この条項は、元の第一条「『大自然』の法則に背いては何もできないことを知る」と第二条「感謝して自然の恵みを受ける」をまとめたものです。
- 人間は子育てが一生の義務であり喜びである
この条項は、第三条「人倫に背く目的には従わない」と第四条「『良心』の養育に努める」をまとめて書き直したものです。
- お客様は神様である
これは、第五条「常に顧客指向であらねばならない」を突き詰めたものですが、顧客志向の背景にはその顧客の家族がいて、その家族の「子育て」に沿う機能がすべての製品に求められます。その意味で「お客様は神様」なのです。
- アイデアは神様から与えられる
第六条「常に注意深く、微かな異変、差異をも見逃さない」は、技師に限らずすべての職業に求められることなので省略しました。
第七条「創造性、とくに独創性を尊び、科学・技術の全分野に注目する」は削除しました。「技術者の創造性、とくに独創性を尊ぶ」のは技術者ではなく、経営者、顧客、またはユーザーであり、技術者の心得ではないからです。また、技術者は「科学・技術の分野に捉われることなく、浅く広い社会常識、新発見情報、身近な自然現象を知り、自身の専門技術を生かせることに結び付けることが求められ、そこで生まれるアイデアは神様から与えられるものと認識すべきだからです。第八条「論理的、唯物論的になりやすい傾向を戒め、精神的向上に励む」および第十五条「勇気をもち、常に新しい技術の開発に精進する」は、本項に含まれるので省略しました。
- 技術は科学よりも試行錯誤の成果である
西堀栄三郎の「技士道十五ヶ条」の文中に「科学の新発見が技術開発の源泉である」との考え方(本田宗一郎の考え方と反する)が随所に見られ、そのような考え方が行き渡っているとしたら、それを戒めなければならないとの意味で本項を追加しました。
- 試運転は大自然との対話である
新技術、新製品、新設設備に試運転は不可欠です。そこで技術者の考え方が大自然の法則に合致しているかどうかが試されます。必須条項として追加しました。
- 生産は安全第一でなければならない
必須条項として追加しました。
- 生産および製品による環境破壊防止に努める
前項および本項は、必須条項として追加し、これに関連する旧第十二条および第十四条を削除しました。
- 技術は個人によらず全員協力の成果である
本項を追加することにより、旧第九条、第十条および第十一条を削除しました。
- 製造国および製品使用国の法律を遵守しなければならない
必須条項として追加しました。
- 正当防衛または自国防衛を目的とするものに限り、武器および兵器の開発および製造は許容される
このホームページの多くを費やして本項の理由を求めました。本項を追加することにより、旧第三条を削除しました。
- 技師は自分自身およびユーザーの子育てを双極の目標とする
必須条項として追加しました。
藤原正彦が紹介する、会津藩の「什の掟」は大人にとっても見直すべき教訓ですが、小学校の道徳教育で教えてもよいと思われます。その際、教師は以下の条項の意味や理屈を教えるのではなく、何度も明瞭に唱え、暗記させることが大切と思います。
- 嘘をついてはなりません
- 盗みをしてはなりません
- 人を傷つけてはなりません
- 弱い者いじめをしてはなりません
- 卑怯な振る舞いをしてはなりません
- 無駄遣いしてはなりません
- ものを壊したり粗末に扱ってはなりません
- 人の嫌がることをしてはなりません
- 人に喜ばれることをしましょう
- 年上の人を尊敬しなければなりません
- 年上の人の言うことを聞かなければなりません
生徒が質問した場合は、「ならぬものはならぬのです」と言い切ることが大切と思います。
下記事項は小学校で教えるには不適当ですが、中学か高校でやはり教師が明確な言葉で口述しながら暗記させる必要があります。
- 正当防衛の場合を除き、殺人をしてはならない。
- 学校を卒業したら働かなければならない。
- 姦淫、売春、買春をしてはならない。
- 結婚することなく男女が結ばれてはならない。
- 男女は結婚し、一生をかけて子育てをしなければならない。
- 妻が妊娠した場合、夫は一生をかけて妻子を養わなければならない。
- 離婚をしてはならない。
現代人が上記のような基本的な道徳を知らず、子育ての重要性を忘れているがために起きている弊害は以下のとおりです。
- 結婚しないのも自由であるという考え方(健康であるにもかかわらず)
- 恋愛をしないでアイドルを追いかけること
- 晩婚化(高齢化による出産のリスク軽視)
- ホモセクシュアルおよびレスビアンの発生
- 無職も自由であるという考え方
- 幼児の虐待や殺傷
- 家庭内暴力(マスメディアはなぜ「ドメスティックバイオレンス」といわねばならないのでしょうか?)
- 堕胎
人類の子育てに関して、健康上の理由で自分自身の子を持てない人々は、働くことで社会に貢献し、間接的に子育てに貢献します。健康上の理由で働けない人々は、社会の援助を受けたとしても天命を全うするまで生きる努力を続けることが、健康な人の見本となり、大自然に背かないで人間社会に貢献することになります。
これまで述べてきたことは、個人が一人でできることではありません。このようなことを一人一人が考えながら、日本という民主主義国家の一国民として、岡目八目の立場で立候補者を眺め、選択し、投票する際の基準の一つとすべきと思います。
立候補者を眺め、選択する際に、立候補者が「子育て」を考慮しているかどうかという判断基準が適切だと思います。「国民の生活」を守る、「国民の福祉」を増進する、「国民の幸福度」を高めるなどという主義、主張はよく見られますが、いずれも抽象的で、実際に何を目指しているか、その内容をよく確認する必要があります。
数十年前、早稲田ビジネススクールの吉谷龍一教授による「システム設計」の序盤における主要な手順のひとつとして「機能展開」が提唱されました。「機能展開」では、設計しようとするシステムに盛り込む機能を選別します。機能には階層があります。たとえば、自動車の機能として「加速する」機能、「減速する」機能、「走行方向を変更する」などの機能は、「自動車を目的地まで走行させる」機能に含まれます。「自動車を目的地まで走行させる」機能は、「運転手(および同乗者)を目的地まで運搬する」機能に含まれます。自動車に関する機能展開はこのあたりを上限として、下層機能を細分化した後、設計対象として含めるべき機能と除外する機能を取捨選択することになります。この手順により、設計しようとするシステムや製品に持たせるべき機能および適用範囲が明確に決定されるので、その後の設計が進めやすくなります。
吉谷教授の講義では、どのようなシステムやハードウェアなどを設計する場合においても、上層機能をさらに展開していくと最終的に「人間が自力ではできないことを可能にする」機能、さらに「生活を豊かにする」機能、「福祉を増進する」「人類の幸福度を高める」機能などに行き着くものですと説明されました。
この説明は、西堀栄三郎の「技術的問題の真の解決策は、技術に携わるすべての関係者が『人類の福祉になること』をやることから始まる」と類似しています。
「子育て」は人間(およびすべての動物)に備わっている機能です。また、これより上層に展開できない最も高度の機能であると考えられます。「人類の福祉」よりは「子育て」の方が、具体的で分かりやすいと思います。「子育て」には衣食住が必要であり、厄災を防止することが必要です。それには、衣服、食料、住居を調達し、地震、火災、水害、外敵の侵入に備える必要があります。
美辞麗句の選挙公約を見極める必要があります。「子育て」には「祖国防衛」は必要ですが、「他国の侵略」は必要ありません。国民は適切な候補者を選択する義務があります。
科学技術の進歩に目を奪われがちですが、弊害もあります。文部科学省発行の「平成19年版 科学技術白書、第1章 科学技術の振興の成果、第1節 科学技術の振興の意義、1 科学技術のもたらすもの、(4)科学技術の光と影」には以下のように記されています:
科学技術は、我々に多くの成果をもたらしたと同時に、解決すべき課題、いわば「影」ともいえる側面をもたらしたことも否定できない。
20世紀を通じて、急速な科学技術の発展に伴い人間の活動が一気に拡大し、資源の大量消費、製品の大量生産・大量廃棄が地球規模で進んだ。このことが、資源の枯渇や地球温暖化問題、オゾン層の破壊といった環境問題を発生させ、あるいは先進国と発展途上国との経済格差の拡大といった問題を生じさせることにつながっている。
また、生命科学の急速な発展は、遺伝子操作などにより生命の根源に人間が関わることについて、倫理面での課題を惹起(じゃっき)している。
こうした課題に対応するためには、科学技術を専門家だけのものとせず、そのプラス面もマイナス面も含めて社会全体の問題としてとらえ、幅広い人々が参加して議論を積み重ねていく中で適切な解決策を探ることが重要である。
科学技術を発展させてそのメリットを享受しようとすれば、当然、そのデメリットにも対応しなければならないのであり、社会としてある科学技術を振興するのか、どう利用するのか、影響をどう制御するのか、といったことについて開かれた議論の下に合意を得る努力が今後一層求められる。
地球環境問題等に限らず、我々が直面している地球規模の課題の多くは、科学技術の急速な発展がその一因であることは否定できないにしても、その解決のためには、科学技術の適切な活用が欠かせないものであることもまた事実である。今後の科学技術には、こうした人類共通の課題の解決に向けた貢献が強く期待される。
科学技術の弊害は、以下のように要約されます:
1. 兵器開発と戦争被害の拡大
前項まで見てきた大量破壊兵器開発および戦争の発生
2. 設備事故被害の拡大
原発事故、原油タンカー事故、航空機、列車、交通事故など事故の
被害規模の拡大
3. 人口爆発
西暦1年頃には約1億人(推定)だった人口は1000年後に2倍となり、
1900年には16億5000万人、第二次世界大戦後には加速度が増して
1950年に25億人を突破。現在は約70億人で、あと数十年以内に
100億人を超えると言われている。人口増加は21世紀最大の問題となった。
4. 資源枯渇
エネルギー資源の中では石油の枯渇が心配されたが、米国でシェールオイルが
開発されると、石油と天然ガスの埋蔵量は十分になっている。
石炭はほぼ無尽蔵に存在する。ウラニウムの埋蔵量も潤沢である。
現在、天然ガス、銅、亜鉛の枯渇が最も懸念されている。
5. 環境破壊
温室効果ガスによる地球温暖化の対策が求められている。
大気汚染は、先進国では削減に成功しているが、発展途上国では石油、
石炭燃焼ガス(煤煙、二酸化硫黄)を主体とした大気汚染が見られる。
東南アジアでは、森林火災や泥炭火災による大規模な煙霧が発生
している。
中国の冬季暖房用石炭燃焼排ガス(二酸化硫黄、粒子状物質)は、
2017〜2018年冬季から、石炭を天然ガスに変更することにより、
大幅に低下している。中国では黄砂の微粒子による大気汚染も見られる。
有害化学物質による海洋、河川、湖沼の汚染、世界各国の都市郊外
および海洋におけるゴミの蓄積。森林伐採、石油採掘跡地、
鉱山跡地など資源開発跡地の荒廃。原発事故による放射能汚染
6. 食料問題
現在の飢餓と貧困、将来の食料供給不足、水不足など
7. 経済格差
各国の所得格差と資産格差
8. 生活が便利になることによる問題
機械化省力化によって労働力が奪われており、運動不足を回避して体力を
維持するためにスポーツが必要となること。コンピューターには記憶力と
判断力が奪われていること。
上記のような、科学技術の急速な発展による問題を解決するためには、科学技術を使用する社会の目的および科学技術に対して社会が期待する機能と範囲を明確化する必要があります。それには、科学技術を外部観点から捉える社会学による研究が求められます。近代の科学技術文明を哲学的に基礎づけたルネ・デカルトの著書のうち「方法序説」には以下のような記述があります:
- 明証的に真であると認めることなしには、いかなる事をも真であると受け取らぬこと
- 私が研究しようとする問題おのおのを、できるうる限り多くの、そうして、それらのものをよりよく解決するために求められる限り細かな、小部分に分割すること。
- 私の思案を順序に従って導くこと。
- 私が何一つ取り落とさなかったと保証されるほど、どの部分についても完全な枚挙を、全般にわたって余すところなき再検査を、あらゆる場合に行うこと。
上記は、科学的に真理を追究する方法とも矛盾しない「学問の方法」として現在も広く認められていますが、この時代のキリスト教とコペルニクスやガリレオガリレイとの論争の影響を受けて執筆されたと考えられます。
一方、「方法序説」第3部では、第2部で挙げた上記の規則を適用させ、自らが思索を行い真理を導き出すまでの間に、人生を生きてゆく規則を4つの「格率」として記述していますが、第一の格率は以下のとおりです(他の格率は省略)。
神の恵みをもって、私を幼児から育ててきた宗教をつねに守りながら、またその他すべての事においては、私がともどもに生きてゆかねばならぬ人々のうち、最も聡明な人たちが実践上では一般に承認する最も穏健な、極端からは最も遠い意見に従って自分の舵をとりながら、国の法律および慣習に服従しなければならない。
さらに、「方法序説」第1部には、以下のような記述もあります。
私は幼少の頃から人文学で養育され、この人文学によって人生に有益な一切について明瞭確実な知識が手に入れられうると説得されていたので、人文学を学ぼうと望んでいた。けれども、課業の全課程を終えるや否や、全く意見を変えてしまった。というのは、私は学ぼうと努めたのではあるが、次第に自分の無知をますます多く発見した以外には何の利益をもえられなかったと思われるほどに、多くの疑問や誤謬に悩まされたからである
その結果、私は自分で他のすべての人々を判断する自由を、またこの世の中には私に期待を抱かせるような学説はこれまで一つも存在しなかったと考える自由を、与えられた。
デカルト、ニュートン、コペルニクス、ガリレオが依存し、安定した生活を送り、自然科学が育まれた社会とはどのような社会だったのか、それこそが、科学技術に毒された現代人が知りたいことではないでしょうか?
自然科学は1500年代〜1700年代のキリスト教社会で育まれ(デカルトの「方法序説」は1637年に出版された)、1700年代以降の技術開発によるものではなく、まして、新兵器開発のために国家予算がつぎ込まれるようになった1900年代以降のことではありません。アインシュタインの相対性原理は1905年に発見されていますが、これとて、アインシュタインの個人的な知的興味の探求の結果生まれたものであって、国家プロジェクトの成果ではありません。
自然科学に対する現代の政府の考え方の一例として、文部科学省発行の「平成19年版 科学技術白書、第1章 科学技術の振興の成果、第1節 科学技術の振興の意義、1 科学技術のもたらすもの、(2)知的・文化的価値の創造には以下のように記されています:
有史以前より人類は、自らの周りの様々な自然現象や人間の存在や行動などに関して様々な疑問を持ち、その疑問を解き明かそうと挑み、様々な謎を解き明かし、あるいはその過程で様々な知識を得てきた。
自然や「もの」の成り立ちに対する疑問から宇宙、海洋などの探索、研究に取り組んで宇宙の成り立ちを学び、さらに、物質を構成する究極の粒子や宇宙の創生に関する研究が行われてきた。また、私たちは何者か、どこから来たのか、という人間存在に関する問いかけから、生命の誕生の秘密や人類進化の探求が進められてきた。
こうした知的探求活動は、それ自体は個人的な疑問や探求心から発し、謎の解明そのものを目指して遂行されるものであり、得られた知見を実用的な技術の開発に応用することを直接目的としていたわけではない。
しかしながら、このような活動に携わってきた人々は、多くの謎を解明し、新たな法則や原理を発見することを通じて、空間的・時間的な境界を超えて広く人類の文明に、新たな知識をもたらすとともに、自然観・人間観などの思想に大きな影響を与え、個々の人間の行動や社会の活動をも変化させてきた。ダーウィンの進化論、アインシュタインの相対性理論をはじめ、それまでの思想に大転換をもたらした発見は数多い。
新たに獲得された知識は、整理・体系化され、継承されることにより、人類共有の知的資産となる。我々は、先人が研究活動の末に獲得した知的資産を継承することにより、森羅万象に対する理解を深めたり、さらなる探求活動を含む様々な活動の限界や効率を引き上げたりして、その上に立って更なる知識の獲得につなげるのである。
こうして蓄積され継承される知的資産は文化としての側面を持つ。人々の疑問や探究心から得られた様々な分野に関する知的資産は、次世代の人々の知的好奇心にこたえ、自分自身や人間、あるいは自然・社会を理解する上での道しるべを提供することとなる。したがって、そのような知的資産がいかに豊富に蓄積されているかということは、その社会の文化の豊かさに通ずるのである。(後略)
自然科学に対する考え方は、以下の4項にまとめられます。
- (自然科学に関する)知的探求活動は、個人的な疑問や探求心から発し、謎の解明そのものを目指して遂行されるものである。
- 実用的な技術の開発に応用することを直接目的としていたわけではない。
- (自然科学の発見を通して)新たな知識をもたらすとともに、自然観・人間観などの思想に大きな影響を与え、個々の人間の行動や社会の活動をも変化させてきた。
- (自然科学に関する)知的資産は文化としての側面を持つ。自分自身や人間、あるいは自然・社会を理解する上での道しるべを提供することとなる。したがって、(自然科学に関する)知的資産がいかに豊富に蓄積されているかということは、その社会の文化の豊かさに通ずるのである。
自然科学に関する知的資産を豊富に蓄積することは、その社会の文化の豊かさに通ずるかもしれませんが、技術開発に応用して、新製品、新施設が供給されなければ、実用的価値は生まれません。また、現代の科学技術を支える自然科学上の発見は、実用的な技術の開発に応用することを直接目的としていたわけではありません。
したがって、実用的な技術の開発に応用することを目的とせず、人間の好奇心を満足するためにのみ、莫大な国家予算を浪費すべきではありません。ノーベル賞受賞者や、科学研究国家プロジェクト関係者は、自然科学の研究のための国家予算の不足を訴えますが、社会生活に役立つからではなく、既得権益として研究者の生活費を確保するためなのです。
つまり、技術者である研究者が、自身の子育てのみを目的として、研究の成果が社会に貢献し、引いては国民の子育てに寄与することを無視しているという基本的な問題です。自然科学の探求は、個人的好奇心を満足するための個人の研究にゆだね、国家プロジェクトとすべきではありません。国家プロジェクトは生活に役立つ技術開発にのみ集中すべきです。
・ おわりに
私が敬愛する藤原正彦の「国家の品格」の中における記述の一部に疑問を抱いたことに端を発し、関連する書籍やウェブ情報を芋づる式に読み漁り、感想を書き連ねてきました。以下のように要約されます:
I. 日本は、1875年〜1895年頃道を誤りました。
日清戦争前から日露戦争の頃(1875年〜1895年)、祖国防衛のためではなく近隣諸国を侵略するために出兵しました。(中略)、1941年にはアメリカ領ハワイ、真珠湾にあるアメリカ軍基地を攻撃するに至り、太平洋戦争が始まりました。
イマヌエル・カントによれば、戦争発生を回避するには、以下3項目の実現が必要です:
- 世界各国の文化が十分に発達すること
- 世界各国が共和国になること
- 公法が実現されること
第二次世界大戦以後、今日まで世界大戦が起きていないのは、先進諸国の間で相互各種破壊(MAD)ドクトリンが信じられているためです。先進国以外で地域紛争が絶えないのは、共和国でないことと、文化が未発達で適切な教育が行われていないためです。
現在の人口爆発や経済格差により、将来の発展途上国が共和国にならず、教育が十分適切に行われない事態が予想されるため、地域紛争の抑止はさらに困難になることが予想されます。
商業が発達し、貿易が盛んになると、戦争抑止効果があることは、シンガポール、韓国、マレーシア、フィリピン、インドネシア、ベトナムが過去の軍事独裁から現在の民主国家へと移行し、ミャンマーもそうなりつつあることからも実証されています。
商取引は、法律を遵守しないと成立しません。技術開発には商業の発達と、法律遵守が前提となります。グローバル企業という言葉は、IT関連企業が発展してからの流行語となりましたが、同義語として用いられることもある多国籍企業は、それ以前から、石炭、石油、鉄鋼、セメント、土木建築、造船、自動車等の分野で生まれ成熟しています。多国籍企業は、各国の法律を遵守しながら、各国の戦争によって倒産することなく、存続しているという事実から、文化の発展に貢献しており、間接的には、戦争抑止に寄与していると考えられます。各国政府は、戦争を始める前に、多国籍企業またはグローバル企業の行動や意思決定を見習うべきではないでしょうか?
II. 技師の役割:
武器の製造は、祖国防衛のために必要です。「技師は、明らかに侵略を目的とした武器の開発および製造については協力しない」と表記したいのですが、現存する武器を使用して他国を侵略することは可能であり、一方、MADドクトリンによればICBMも侵略を目的とするものではなく祖国防衛手段であるため、この表記は実情と矛盾します。
自然科学の発見は、個人の知的興味の満足にまかせるべきです。この原則は、国家予算に限らず、大学の研究にも適用すべきです。生活に役立たない研究(ビッグバン、宇宙開発、粒子加速器、核融合炉)は取りやめ、以下のように生活に役立つ技術開発に集中すべきです。
- 二酸化炭素の有効利用(飼料、食料や加工用素材への変換)
- 砂漠緑化(原子力淡水化プラント)
- トリウム原子炉の開発
- 海流発電
- 全固体電池
- 乗用ドローン
- 超音速旅客機用ラムジェットエンジン
- 食用藻類海上養殖
- 洋上原子力発電所(地震および津波の影響を受けない)の開発
- 使用済み核燃料の原子力発電所構内永久保管(見えにくい地下ではなく、監視しやすい)
III. 日本の道徳教育の復活の必要性:
日本の事例を検討しましたが、発展途上国の教育の見直し、さらには、世界各国での教育内容の標準化や情報交換も必要と思われます。
IV. 「子育て」が人間の生きる道:
「子育て」については、定年退職して、子が孫を育てるところを見るようになって、初めてその重要性に気付きました。仕事がつらいときの言い訳として、妻のため、子供のためと自分に言い聞かせたこともありました。製品開発時において、「お客様は神様」だからユーザーの立場になって製品の使いやすさを考えてきましたが、その製品を使用することがユーザーの家族の迷惑になってはならず、むしろユーザーの家族全員に役立つことが大切であると思い返されます。それは、子育てこそが人間の生きる道であるためです。
ただし、「子育てこそが人間の生きる道である」という考え方は、人間または人生を外部から眺めたときの言い方なので、その人生を真剣に生きている当事者に対して言える言葉ではありません。熱心に恋愛している人は、将来の子育ての始まりに差し掛かっているのですが、恋愛の当事者は全身全霊を捧げて恋愛に向き合っているので、年長者が「子育てが大切」などというと、余計なことを言うなと反発されることは当然です。育児に忙しい母親も、仕事に励む父親も子育ての当事者であり、同様です。子供が授からない夫婦に対して、子供が授かった夫婦が言える言葉でもありません。独身者に対して、既婚者が言えることでもありません。まして、体が不自由な方々に対して、健常者が言えることでもありません。
「子育ての大切さ」は、製品開発においては技師がユーザーを、戦争抑止においては国民が為政者を、当事者ではなく第三者の観点から検討し評価する場合に基礎となる考え方です。
科学技術に惑わされることなく、ただし、自然科学の発見を否定することなく、自然科学ではなく常識に基づく「人文学」による現代社会の再評価および将来社会への提言が求められます。
ただし、このようなことを書いている自分自身は科学技術に惑わされていて、人工知能、コンピューター、新型自動車、航空機、ロケットなどに魅惑され、科学技術報道に興味を持ち、生活の役に立たない宇宙開発や、自然科学上の発見を楽しみにしており、決して道徳的などではなく、書くこともはばかられる不道徳な振る舞いをしてきましたので、本当はこのようなことを書く資格のない人間であることをお断りしなければなりません。
ぬけぬけと申し上げますが、このホームページに対して、ご意見、コメントなどございましたらまでお知らせください。即答できないかもしれませんが、ご返事を差し上げた後、必要に応じて、このホームページの記述を削除、追加、または変更致します。
最後に、新渡戸の「武士道」の一節を引用して、このホームページを終了します。
「人類の半分を占める女性は、ときには矛盾の典型とも呼ばれるが、それは女性の心の直観的な働きが、男性の『算術を用いる理解力』の範疇をはるかに超えているからである。女性の身体的魅力や繊細な思考が、男性の粗雑な心理では説明できないからである」
そのように理解が困難な女性である妻が、一生をかけて子育てをしながら、私との生活を維持しながら、なお私の行動を大目に見てくれたことに深く感謝します。
・ 引用文献
著者、
題名、
発行所、
出版年月
- 藤原正彦、国家の品格、新潮新書、2005年11月20日
- 新渡戸稲造 著、岬 龍一郎 訳、武士道、PHP文庫、2005年8月17日
- 西堀栄三郎、技士道十五ヶ条、朝日文庫、2008年1月30日
- 本田宗一郎、「4つのルール」、株式会社アントレックス、2015年10月6日
- カント 著、中山 元 訳、永遠平和のために/啓蒙とは何か、光文社 古典新訳 文庫、2006年9月20日
- Kant, Immanuel. Perpetual Peace: A Philosophical Essay. Kindle version. 1891
- プロデューサーA、100分で名著 57 永遠平和のために カント、2016年8月1日〜22日
(https://www.nhk.or.jp/meicho/famousbook/57_kant/index.html)
- 守屋 洋、孫氏の兵法、三笠書房、1979年12月
- 池上 彰、佐藤 優、新・戦争論、文春文庫、2014年11月20日
- 飯倉 章、第一次世界大戦史、中央新書、2016年3月25日
- 世界人物伝、ウッドロー・ウィルソン、読売新聞夕刊、2016年12月10日
- アルバート・アインシュタイン、ジグムント・フロイト著、浅見昇吾 訳、ひとはなぜ戦争をするのか、講談社学術文庫、2016年6月10日
- The Einstein-Freud Correspondence [1931-1932](http://permuter.wixsite.com/why-war)
- レビュアー 野中 幸宏、【往復書簡】アインシュタインの悩みにフロイトが答えた「エロス」とは?(http://news.kodansha.co.jp/20170123_b01)
- 50代の貿易業者、朝鮮開国から日清戦争前夜まで(http://www.wayto1945.sakura.ne.jp/KOR01.html)
- Cold War(冷戦)(https://en.wikipedia.org/wiki/Cold_War as of April 14, 2018)
- Cuban Missile Crisis(キューバ危機)(https://en.wikipedia.org/wiki/Cuban_Missile_Crisis of April 14, 2018)
- Mutual assured destruction (MAD)(相互確証破壊)(https://en.wikipedia.org/wiki/Mutual_assured_destruction as of April 14, 2018)
- Nuclear Sharing(ニュークリア・シェアリング)(https://en.wikipedia.org/wiki/Nuclear_sharing as of April 14, 2018)
- List of wars death toll(戦争死者数のリスト)(https://en.wikipedia.org/wiki/List_of_wars_by_death_toll)
- アメリカ科学者連盟(Federation of American Scientists)(https://fas.org/issues/nuclear-weapons/status-world-nuclear-forces/)
- ジャン=マリー・ゲーノ、『避けられたかもしれない戦争』、読売新聞2018年4月16日「書評」
- Inventory of Canada’s nuclear armaments(カナダの核兵器在庫)(https://en.wikipedia.org/wiki/Canada_and_weapons_of_mass_destruction)
- Treaty of Tlatelolco (トラテロルコ条約)(https://en.wikipedia.org/wiki/Treaty_of_Tlatelolco)
- これまでに署名された非核兵器地帯条約、外務省/外交政策/日本の安全保障と国際社会の平和と安定 (http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/kaku/n2zone/sakusei.html) - Nuclear-weapon-free zone(非核兵器地帯(NWFZ)(https://en.wikipedia.org/wiki/Nuclear-weapon-free_zone)
- ルネ・デカルト、方法序説、1635年(https://www.marxists.org/reference/archive/descartes/1635/discourse-method.htm)
- 吉谷龍一、システム設計、日経文庫、1969年11月
- 文部科学省、平成19年版 科学技術白書、2007年6月
- Resource depletion(資源枯渇)(https://en.wikipedia.org/wiki/Resource_depletion)
- 梅原 猛、人類哲学序説、岩波新書、2013年4月19日
- 伊藤 邦武、プラグマティズム入門、ちくま新書、2016年1月10日
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